日常

2008年7月12日 (土)

「西の魔女が死んだ」

映画を見ながら、生活者としての自分を振り返ってみる。

そろそろ方向転換する時期が、来たのかもしれない・・。

「いかに効率よく手をぬいて、仕事を終わらせるか」今まで信じて疑わなかった、私の家事に対するこの考え方が、この二時間でくつがえされそうな勢いであった。

あくせくする事もなく、自然の流れに逆らわず、自分の手で生活を紡いでいく心地よさを、どうやら私は今まで気付かずに来た様である。

誰にでもできる事には、あえて時間を費やす事などない、と奢った気持で家事を軽んじてきたけれど、「個々の生活」こそ、他の誰にも真似のできない人生そのもの、だったとしたら・・・。

主人と二人の老後の毎日を、味わいながら生活していく事が、これからの私の人生なのかもしれない。

便利な同居人とみていた、家事の上手な主人は、きっと早くからその事を知っていたのだろう。

だからこそ、二人の子供達がそれぞれ、自分達は父親に育てられた、と思っているのではないか?

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2008年7月 7日 (月)

「アウェイ・フローム・ハー」

カナダの湖のほとりに住む、老夫婦の物語である。

雪の深い別荘地で、穏やかに、かつての大学の師弟であった二人が、老後の生活を送っている。

クロスカントリースキーを好み、時には友人を招いてディナーを楽しみ、夜には夫の朗読する文学を二人で味わうといった、絵に描いた様な知的で静かな生活。

そして妻が、次第にアルツハイマーにおかされていくあたりから、物語は始まるのだった。

痴呆の症状というのは、断続的に顕れるものなのだろうか・・。

己の病状を見究める様にして、妻はためらう夫を説得。介護施設に自らすすんで入院してしまう。

背景も、ストーリーも、お膳立ては充分整っているにも関わらず、見終わった後の、この物足りなさは何なのか。

観念的に走りすぎていたからなのだろうか。

施設で、妻は同年輩の男性と親しくなり、その世話をしながら生き生きと毎日を過ごし、面会に来た夫を認識すらしない。

老後の問題とは、救いも抜け道も無い、現実である。

やがては、自らが当事者となるその問題に、普段は目をそむけて暮らすのが若者達の特権なのだろう。

そして私の様に、扉の向こうにそれらの問題が山積しているにも関わらず、あえて覗きもせずに蓋をして、毎日を過ごしている元気なシニアも多い事と思う。

だからこそ、こういった映画は真っ正面から描いて欲しかったのだ。

見終わった観客達に「もしや・・」といった解釈を委ねる結末は、芸術的な効果をねらった作者の意図が透けて見える気がして、それも中途半端な印象に終わってしまった理由の、一つだったと思う。

表現するという事の難しさを、改めて考えさせられた映画であった。

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2008年6月18日 (水)

「最高の人生の見つけ方」

昨日名古屋に帰り着いたのが8時少し前。そのまま駅の向かいにある、ミッドランドシネマを覗いてみた。

三谷幸喜の「マジックアワー」を見ようと思ったのだが、始まるまでに一時間もあったので、15分後に始まる「最高の人生の見つけ方」の方に入る事にした。

余命半年と医者に宣告された、気質も境遇も全く違う二人の老人が、その最期の数ヶ月を、今まで遣り残した様々な事を実行に移していくドラマだ。

映画は、役者次第である。芝居も、そして演奏もだけれど・・・。

馬鹿げた、と言える様な事を次々と実行に移していく二人の老人。

スカイ・ダイヴィング。刺青。北極の上空を自家用機で飛びながら、夜空の美しさを眺め、更にはそれぞれが二台のムスタングを運転してのカーチェイス。それも競技場を借り切ってだ。

フランスでの最高級の食事。サハラ砂漠では野生の動物達を掻き分けて車を走らせ、エジプトではピラミッド、インドではタージマハールの前に立つ。

大金持ちで現実的な白人と、貧しい修理工ながら舌を巻く様な博識と良識を持ち合わせた黒人の、二人の交流がはさまれ、やがて二人は最期を迎えるのだが。

最高の人生を探す?

人生の楽しみなんて、お金が無ければみつからないのさ、と言っている様な映画なのに、あんなに大笑いして楽しんだのは、如何に役者達が味わい深かったかに他ならない。

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京都の散歩

昨日は、良いお天気だったので又京都へ出かけた。

何とかの一つ覚えで、私は余り新しいものを開拓するのは得手ではない。

でもここ数回京都へ通ったお陰で、大雑把な土地勘は出来てきた。東西南北にどういったものがあるのか、程度には。

昨日の目的は相国寺と詩仙堂。

相国寺は、ここも源氏物語二千年紀の一環から、中高年で賑わっていたけれど、すぐ近くの京都御所は広々としていて楽しかった。

こちらの方は、サミット外相会議が六月下旬に開催される関係から、警官達で溢れていたけれど・・。

御所の建物には、事前に宮内庁に申し込めば入れるとの事。

予約しなければ入れない場所は、私の様に「その日ふらっと」組にはちょっと縁は無さそうなのだが・・・。

建礼門と言う名が、高校時代の記憶を思い起こさせた。「建礼門院右京太夫集」

一年の時のクラス担任が「古文」の先生で、余り授業の内容までは覚えていないのだけれど、色々な思い出はある。

ある時の宿題で、私は上記の日記を訳していく当番だった。

その時に出てきた、「かなし」という言葉。辞書を引かずに済ませて、只「悲しい」と訳したばかりに、こじつけ誤訳をしたその時の悔しかった状況を、数十年ぶりに思い出した。

適当な門から外に出て、歩き始めた。

観光地は、所々に近くの名所を知らせる看板があるし、大体の見当をつけて叡山鉄道の駅に向かった。

同志社大学とか、京都府立医大など、側を通るだけで何となく親近感がわく。

出町柳という駅から、比叡山方面へ一両編成の路面電車で10分程のんびりと揺られて行き、一乗寺という駅で降りる。

詩仙堂は駅から坂道を更に10分程度歩くという条件故か、今はまだ紫陽花には少し時期が早いせいか、人影も少なくて落ち着いていた。

只、当然ではあるのだろうけれど、寺社の中には土足厳禁というところが多い。そこで、備えてあるスリッパに履き替えるというのが、ちょっと私には馴染めないのだ。

入り口まで行ったものの、諦めて帰って来ることも少なくない。

今回詩仙堂では、それでも裸足では庭を見られないので、備えのサンダルを履いて中庭を回りながら、西洋志向で今日まで来た人間は、寺社巡りには無用なのかもしれないな、と思ってしまった。

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2008年6月11日 (水)

YouTubeの魅力

先日、久々にYouTubeで日が暮れた。

一度アクセスすると、次々と繋がっていってつい夜更かししてしまうので、普段はなるべく覗かない様にしているのだが。

学生が「サンソン・フランソワの映像で、ラヴェルのコンチェルトをみつけました」と教えてくれたのが、きっかけだった。

そこからリンクしていくと、留まる処をしらない。

面白かったのは、ラジオ番組だったらしく音声だけなのだが、ハンガリーのピアニスト、アンドラーシュ・シフが、聴衆を前にベートーヴェンの「月光ソナタ」について弾きながら講義していた30分。

穏やかなシフが話す英語は、比較的分かりやすく、内容も身近なので退屈しなかった。

「月光ソナタ」の楽譜の冒頭に書かれているsenza sordino(弱音器なしで)の標語についての解説。

ベートーヴェンの時代に使われていた、senza  sordino は、「左のペダルを踏む」ではなく、「ダンパーを使用せず」の意味なのであって、つまりそれは、右のペダルを踏みっぱなしで弾く、という指示なのである・・。

あの有名な一楽章を、ペダルを踏みっぱなしで演奏して聴かせていたのは圧巻だった。底までは踏まずに、3分の一位の浅さで、と説明して。

ホロヴィッツがカーター大統領時代、ホワイトハウスで行った演奏会は、30年程前にテレビで見た映像だろう。

ショパンの「葬送行進曲付きソナタ」などを弾いていたが、同じ曲をカーネギーホールで弾いた時の演奏の方が、遥かに鬼気迫るものがあった。

ポゴレリッチがショパンコンクールで演奏しているライブの映像。若い!

やはりショパンコンクールのライブで、アルゲリッチの弾くスケルッツォ3番。これは、CDでも聴いた事があるけれど、他に優勝者なんてありえない、といった唸らせる演奏だった。

そして彼女の、ラフマニノフの3番のコンチェルトの凄まじさ!どこかの演奏会のライブ映像だが、まだ若い頃で、その出だしの美しさと、言語に絶するテクニック。

あの難曲をまるで事も無げに、あの美しい表情で弾きこなすのには、呆然というか唖然としてしまう。

これこそ、ピアノを弾く為に生まれてきた天才なのだ、と納得せざるを得ない。

ペルルミュテールがラヴェルの「夜のギャスパール」を普段着で演奏している映像。

初めて彼の演奏している姿を見たが、豊かに湧き出てくる幻想的な世界とは裏腹に、殆ど体も表情も動かない。

僅かに、ガムでも噛んでいるのか、と見紛う位に口を動かしているのが印象的であった。

今回、「水の精」は何人もの人の映像で聴いたが、私には彼の演奏が一番しっくりきた。

名高いミケランジェリの演奏の映像もあった。

更に、彼がチェリビダケの指揮でラヴェルのコンチェルトを弾いている映像を見つけた時は、ちょっと興奮して、昔彼の内弟子だった友人にメールを送った。

勿論彼女も知っていて、何時でも見られる様にキープしている、とすぐ返事がきたけれど。

若い頃にもし、この様に簡単に映像が見られたならば、ピアノの奏法も随分変わって居たかも知れない。

当時は、まだまだヨーロッパは遠い世界であったから・・・。

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2008年6月 8日 (日)

イヴェント

「ほぼ日刊イトイ新聞」の、10周年記念イヴェントとNHKの番組の相乗りで、昨日から今日にかけて、糸井重里氏が京都から東京まで飛行船に乗るという企画があった。

「ほぼ日」には、実際に参加は出来ない人のために、色々な企画をネットで中継するという楽しいコーナーがある。

タモリや山下洋輔の「初めてのジャズ」だとか、谷川俊太郎と賢作父子の軽井沢でのコンサート等等。

参加したいと思う様なイヴェントを、ほとんど5分単位でアップしながら中継してくれるのだ。

今回は京都から東京へ向かう途中、長久手の万博跡地の「サツキとメイの家」に着陸するという情報を、偶然着陸時の30分位前にゲット。

「現在、名古屋城上空を飛行」、という情報を得て、私は何度も窓から空を見上げた。

どうやら我が家の北側を通過するらしい、という見当をつけて何度か北側の玄関口に出てみたりしているうちに、確かに見えた!

思わず私は家の中に戻り、唯一の同居人である主人の腕を引っ張って来たのだった。

主人は、その様なイヴェントには全く興味を示さない性格であるのを百も承知でありながら、そういった際には本能的に共に味わう人を求めるものらしい。

付き合いは良い主人のこと、少し遅れて出てきたと思ったら、私の知らない双眼鏡を手にして現れた。

確かに、近くの小高い丘の上をゆっくり飛ぶ「ツェッペリン」は、双眼鏡を通して見るとその巨大な姿にも実感が加わって、イヴェントに参加した様なときめきを倍増して感じられた。

糸井さんは、やはり私達に夢を与える天才である。

京都から東京までの道のりを、10数時間にわたって、様々な人々と何らかの交流を生み出していった、このイヴェント。

単なる、NHKの生放送だけでは多分味わえなかったであろう、ネットでの中継というアイディア。

二日間、楽しい思いをさせて戴きました。

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2008年6月 3日 (火)

三井の晩鐘

「絵が語りかけてくる」

今日の日経新聞夕刊の記事で、芦田淳氏が書いていた言葉である。ピカソの絵について書かれていた。

絵が語りかけるのか、絵を見ている自分が思い描くのか・・。

芸術作品と対峙していると、確かにそこには対話がある。

今日、午前中に雨が上がったので京都へ出かけた。今回は少し足を伸ばして石山寺と三井寺へ。

私の中で三井寺は、若くして亡くなった三橋節子さんの「三井の晩鐘」という絵の由来から、何か特別なものがあったのだ。

いつかは訪れてみたい場所として。

3歳と1歳の子供を持つ母親であった三橋さんが、病の為にに右腕をなくした後、半年後に左腕で描いたという、民話を基にしたその絵を、実際に見た訳では無いのだけれど・・。

源氏物語千年紀でにぎわっていた石山寺に比べて、三井寺はその広大な敷地の中に静かに端然と佇んでいる様に見えた。

すると、突然鐘の音が聞こえた。続いて、又。

その「三井の晩鐘」の方へ近づいてみると、一回300円払えば鐘を撞かせてくれると、説明書きがあった・・。

丁度、シニアの10数人の男性のグループが、次々と順番で撞いていたところだったのだ。

例え商業ベースに乗せられようとも、やはり三井の晩鐘は撞いてみたい・・。

300円払うと、「一回だけです」と念を押されたが・・・。

それが、仏像であろうと、境内であろうと、鐘撞き番のおじさんであろうと、対峙すれば語りかけてくる何かがある。

正,負の差こそあれ。

石山寺も三井寺も、琵琶湖畔にあって平安時代にはさぞ静かで寂しい場所であったのだろうと、つくづく思った。

そして深い木々の中で、「源氏物語」はやはり、一度はきちんと読んでみようと思ったのだった。

年齢を重ねると、古文が少しずつ身近になってきて、注釈と共に原文で読める様になってくる、とどこかで聞いたのを真に受けて、先日大胆にも本だけは買ってきたのだが・・。

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2008年6月 2日 (月)

黄金分割

先週娘が招待してくれて、恵比寿ガーデンプレイスの東天紅で食事をした。

早めに予約したので、窓側の席に案内されて、少し雨模様の夜景を眺める事ができた。

東京タワーを中心に、霧で霞んだり又姿を現したたりする都心を見下ろしながら、久々にのんびりと夕食を楽しんだ。

私が最近バルトーク関連で、黄金比やフィボナッチ数列の計算をした事などを報告。娘をちょっと驚かせてみた。

それにしても、二次方程式の計算なんて何十年ぶりだったろう・・?

子供の頃、回りには大体幾何の好きな大人が多かった。といっても、母親とか叔母達だが。

よく色々な問題を出してもらっては、弟や従姉妹達と解いたものだった。

鶴亀算とか植木算なども好きだったなあ・・。ピタゴラスの定理も、ドイツ語で歌う「野ばら」と共に、私のまわりではブームであった。

これはどうやら、狭い札幌の中では大体同窓生となる、母親達の受けた女学校教育の影響ではないかと思う。

長じて出会った同郷の友人の中にも、ドイツ語の「野ばら」や、卵から作るマヨネーズや、皮の破れない黒豆の煮方等々、家庭でのトピックスに共通点があるのを少なからず発見したから・・。

それはともかく、私の場合。

算数好きの女の子が、女学生の頃にはすっかり文転。にもかかわらず、図々しくも理系のクラスに在籍して、よく高校が卒業できたものである。

回りの協力が如何ばかりであったのか・・・。先生も含めて。

そして、この度。

二次方程式の解、を何とか思い出しただけで、ささやかな満足感を味わいつつ、週末の大半を、主人に質問しながら殆ど紙と鉛筆を握って過ごしてしまった。

数学の問題を解くのは、老後の暇つぶしとしては中々ではないか、と思った程だ。

私が数学を解いて、主人がピアノの練習するという、有効利用のリサイクル生活はどうかしら・・?

夫婦のコミュニケーションはあっても、ストレスは溜まるかな・・・。

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2008年5月27日 (火)

民族意識について・・。

先日、六本木の国立新美術館へ行った時に、次の企画展として「エミリー・ウングワレ」というアポリジニの画家の宣伝をしているのを見かけた。

ネイティヴ・オーストラリアンの女性画家らしい。

今の文明社会からは隔絶された砂漠地帯で一生を終えた、女性らしい。

最近、学生と共にバルトークの作品を検証するとういう機会があるのだけれど、「民族意識」という概念は、普段の私達の日常には余り縁が無い・・。

そして又、閉ざされた環境に生活して居たウングワレにしてみても、あえて民族に対して固執する感覚は、余り無かったのかもしれないのだが・・。

しかし、両者の底に流れる、潜在的な「民族」に対する意識の相違は、何と大きいことだろう!

ハンガリーの作曲家バルトークが、祖国の民謡や民族舞踊に関連した作品を多く手がけたのは、故国がオーストリアに併合されてしまった悲劇と、勿論無縁ではないだろう。

祖国のアイデンティティが、失われてしまうという境遇・・・。

占領下での現実について、ポーランドの友人が語っていた話は、ちょっと忘れられない。

「ある日、母の兄弟の処にソ連兵がやってきて、彼を連れ去った。そして、彼はそのまま姿を消してしまった。」

disappearedという言葉が、これ程現実的に響いた事は、未だかつて無かったと思う。

そんな中で、民族の文化を守るという強い意志。

もし、自分の中にこびりついている、平和な中でのいささかの知識や経験を、きれいに洗い流して、まっさらな自分を見つめることが可能になったなら、その時こそ日本人としての原点に立つ事ができる様になるのかもしれない・・・。

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2008年5月20日 (火)

弥勒菩薩(半跏思惟像)

40数年前、高校の修学旅行で、二つの「弥勒菩薩像」を見た。

その頃、弟の作曲のクラスの先輩が「半跏思惟」という題名の曲を発表した。弥勒菩薩の独特な座り方を表すその名前が、強烈な印象だった事もあり、この二つの国宝に特別な関心を持った記憶がある。

中宮寺へ行った日は、雨が降っていた。

説明してくれた若い尼さんの淡々とした関西弁の影響もあって、超俗な雰囲気を漂わせていたお寺の中で見たあの黒い弥勒菩薩像を、私は今でもはっきりと思い出す事ができる。

それに比べると、明るい雰囲気の中で見た広隆寺の半跏思惟像は、記憶には残っているものの余り強い印象は無い。

一昨年、京都へ友人に会いに行った際、ちょっと時間があったので、広隆寺へ寄ってみた。

見る方が還暦ともなれば、印象は違うだろうか・・。

余り人も居なかったので、ゆっくり眺めてみたけれど、顎の下に添えられている右手のバランスや全体像も、私には余り自然には見えてこなかった。

それから、ずーっと気になっていた斑鳩の中宮寺へ、今日やっと行ってきた。

門跡尼寺は、訪れる人も少なく静かな佇まいで、国宝の弥勒菩薩も簡素な本堂の中に、懐かしい姿で座っていた。

彫像は立体的だから、見る角度で表情が大きく変化するらしい。

左の方向から眺めていると、初々しい娘の様な表情に見える。

正面に暫く対峙していると、その目を少しずつ見開いてくる気がする。そして、あと一瞬で我々の為に立ち上がって来そうな気配すら感じられてくる。

右側から眺めていると、口の表情が少し老いてきて厳しさも加わって来るかの様だ。

高校生の時に受けた印象が、還暦になっても大きく変わる事はなかったその事実に、私はちょっと嬉しさを感じながら中宮寺を後にした。

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2008年5月19日 (月)

弁天小僧、そしてモジリアーニ

先週の土曜日、中学校の同期会が東京であった。前日の金曜日、東京での仕事を終えてそのまま泊まり、夜は歌舞伎座へ行った。

今月は「団菊祭」なので、何といっても顔ぶれが素晴らしい。

夜の部は、「弁天小僧」の通し狂言。待ちに待った、菊五郎である。

日本駄右衛門の団十郎をはじめ、、左團次・時蔵・三津五郎とういう面々が、今回が27回目という菊五郎の弁天小僧と連なって、傘をもって居並ぶ場面は、文字通りぞくぞくした。

以前に見た勘三郎の弁天小僧も楽しかったが、この演目は音羽屋の家の芸なのだという。

それを知らなくても、菊五郎の弁天はかねてから是非にと思っていた舞台であった。

「せりふは、覚えるというより体に入ってる」、とご本人が言うとおり、「知らざあ、言ってきかせやしょう・・」の、あの歯切れの良い粋な江戸っ子風情は、ちょっと類が無いと思う。

そして、あの姿の色っぽさ!

翌日の午前中は、数時間ゆとりがあったので、六本木の国立新美術館へ「モジりアーニ展」を見に行った。

沢山並ぶ肖像画の中で、亡くなる前年に描いた「ブロンドの若い娘の胸像」と「女の肖像」の、モデル達の表情が印象に残った。

二人とも、ごく平凡な若い女性である。

「女の肖像」の女性の佇まいは、穏やかで大人しくて、自分の目立たない存在を黙って受け入れている様に見える。

「ブロンド」の娘は、怒っている。自分の置かれた、多分恵まれない環境に怒っているのか。

それとも、醜いと自己評価している自身の容姿に対してなのか、例のアーモンド型の目から、強い気持ちが伝わってくる。

この二人のそれからの人生は、どの様に続いていくのだろうか・・・。

ブロンドの娘は、怒り続けて人生を終わる事になるのだろうか。それとも強い意志で、自分の道を切り開いていくのだろうか。

穏やかな娘は、人知れずその平凡な人生を終えるのか。それとも、穏やかさが、回りを優しく包んで、幸せな一生を送る事になるのだろうか・・。

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2008年5月12日 (月)

連休も終わり・・。

今年の連休は、私の勤務曜日を避けて通っていった印象だったけれど、思いの他娘が長く名古屋に滞在した為、お休み気分は充分味わう事ができた。

そして、昨日娘が帰京して、我が家の連休も終わってしまった。

今日は、週一回の車で出勤する日。

運転を復活させてから、今年で4年目になるのだが未だに、家にたどり着くまで気が重い。

とはいえ、若い学生さん達の相手をするというのは、いつも新鮮で何とも楽しい。

色々な可能性を持つ若さは、眩しい程である。

こちらは、経験値を最大の頼りにして相手をしているつもりなのだけれど、ちょっとした言葉などがきっかけで、目を見張る様な変化を見せてくれる学生さん達を前にすると、新しく経験を積んでいるのはこちらなのだ、といつも思う。

「目から鱗」の場合も、勿論ある。

彼らの弾く曲を、自分自身で久々に紐解いてみて、時間の経過と共にその曲のもつ新しい面に気づかされる事も、度々ある。

曲に対するアプローチも人それぞれで、横で眺めているとこれも実に楽しい。

只、教育の場は、どうしてもこちらが一方的に意見を述べてしまい、独善的になりがちなので、このあたりのバランスが最も難しいところだろう・・・。

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2008年5月 7日 (水)

穏やかな休暇

娘が、ゴールデンウィークと共に東京からやってきた。

名古屋は、娘にとって故郷ではないのだが、やはり実家のある場所へは、「帰る」という気分になるらしい。

娘が加わって、お休みらしい気分が、一挙に我が家を占拠した。

娘が高校生の頃から、お休みが始まると、連れ立って映画を見に行くというのが、楽しみの一つになっている。

今回は、私が東京での仕事を終えて後、娘と待ち合わせて戻ってきたのだが、新幹線まで数時間暇があったので、まず池袋で「つぐない」を、これは一人で見た。

見終わっての感想として、「つぐない」という題名の邦訳には、強い違和感を覚えた。

オリジナルの”Atonement"という単語を知っていた訳ではないけれど、余りにも救いの無いあの結末を考えると、「贖罪」とすべきであったろうと思う。

前半の舞台は美しい英国の館や庭園で、きらびやかなヒロイン達の貴族的な生活が芸術的な音響効果で描かれていて素晴らしかったし。

後の、全ての不幸の原因となった「嘘」を証言する、多感な少女の演技も素晴らしかったけれど。

名古屋では、娘と一緒に「ジェーン・オースティンの読書会」を見た。

これは、楽しかった。こんな読書会があったら、参加してみたい気分である。

以前東京に住んでいた頃、数人の友人達と「ヒコーカイ・クラブ」というのを結成していたのを、懐かしく思い出した。

これは、同じ曲を弾き比べる訳ではないけれど、毎回必ず何か一曲は演奏するという取り決めの、勉強会であった。

月に一回位のペースで、スタインウェイやヤマハのスタジオを借りて集まったものだった。

年間通して、大曲を少しずつ仕上げていく人も居たし、本番前のリハーサルとして弾く人も居た。

仲間同士の気安さで、お互いに言いたい事を批評しあって、終わってからは美味しいものを食べて解散した、あの会はなかなか貴重な存在であった。

アメリカに住んでいた頃にも、「ピアノ」というクラブに参加していた。

それは、婦人会の中にあったクラブのひとつで、やはり月に一度集まっては、お茶を飲みながら暫くおしゃべりした後、何人かの人がピアノを弾くという、楽しいグループだった。

各会員が持ち回りで自宅を開放していたのは、映画の内容と似ている。

これは小さな街で大きな家に住む、アメリカの社会だからこそ成立したのだろう。

現在もこんな風に、又どこかで勉強会に参加できないものかと、アンテナをはってはいるのだけれど・・・。

いざ、探そうと思うと実に難しい。

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2008年4月30日 (水)

還暦の道楽

数日前に、「youtube]というサイトを教えて貰って、すぐにはまってしまった。

システムはイマイチ分からないのだが、とりあえずアクセスした先が、実に素晴らしかったのだ。

リヒテルの演奏した、プロコフィエフの7番のソナタのCDを、暫く前から探していたのだが、試しにここでアクセスしてみたところ・・。

リヒテルの演奏こそ音源だけだったが、7番のソナタ繋がりで、アルゲリッチの演奏、ベレゾフスキー、ソコロフ、その他アジア系の少年や少女の演奏などが、次々と映像付きで現れたのには、文字通り仰天してしまった。

そこから更に、ホロヴィッツやアルゲリッチの、時にピアノを弾きながらのインタビューや、若かった日々の演奏の映像。

次々と、こんなに数多くのピアニスト達の手の様子を眺めたのは、初体験であった。

一番インパクトが大きかったのは、ピアニスト達の手の大きさ!

羨ましいを通り越して、まるで別世界を眺めている気分であった・・・。

ソコロフが、16歳でチャイコフスキー・コンクールに優勝して話題になったのを、よく憶えている。確か、私と同じ年齢だったと思う。

この人の三楽章の映像は、まさに衝撃的であった。

まず、すっかり年齢を重ねた姿には、同じ人とは思えない変貌があって、自分の年齢も考えさせられたし・・。

そして、あの揺らぎの無い連打和音の壮絶感。

きっとあの曲を、ソコロフは人生で、何百回いや何千回という回数、舞台で重ねて弾いてきたのではないかしら。

天才が、「継続は力なり」という言葉を、ここまで高みに引き上げてしまった、その事に対する衝撃、であったのかもしれない。

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2008年4月15日 (火)

美術館

若い友人が教えてくれた青山ユニマット美術館へ行った。印象派画家たちの企画展もあったし、シャガールの常設展があるというのも魅力的だった。

この美術館は、余り周知されていないのかもしれない・・。人々も適度にまばらだったし、広すぎない静かな空間が、ゆっくり絵を眺める環境をかもし出していた。

私は今回、藤田嗣治のバラをさした花瓶の絵と、デュフィの婦人像が印象に残った。

藤田嗣治のこの絵は、以前箱根の美術館で見た気がする。気に入って絵葉書を数枚購入したので記憶に残っている。

改めて眺めると、花瓶の質感の様なものが見る者に迫ってくる。陶器のちょっとしたざらつきとか、重さとかが感じられてくるのだ。

デュフィは、音楽家の絵をたくさん描いているらしく、「モーツアルト」は友人の「バルトークに見えた」という表現を思い出して、納得した。

その手前に飾られていた、婦人像。題名は憶えていないのだが、ずっしりとした中年のその婦人のたたずまいが、何ともいえないリアリティーを持って語りかけてきた。

その婦人が送っている生活や思いが、想像できる様な座り方とちょっと不機嫌そうな表情。背景は「明るい青」只一色。デュフィの壮年期の作品だと思われる。

個人的には、それぞれの画家達の作品を年代順に並べてあればより楽しめたかな、と思う。何度も、製作年月を確認するために、沢山の絵の前を行きつ戻りつしてしまったから・・。

キースリングは、今までにも色々な場所で目にはしていたが、今回初めてポーランド出身の画家である事を知った。いざそういう目で、1945年作の若い女性の像を眺めると、その女性の寂しげな表情の前から、私は離れられなくなってしまった。

あの表情は、第二次世界大戦をめぐるヨーロッパの歴史と文化を背負っているかのようで、暫くの間、様々な思いが私の前を通り過ぎて行ったのだった・・。

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2008年4月 9日 (水)

ブーゲンビリヤ

ブーゲンビリヤの鉢を贈ってくれた人が居た。あの赤紫が一番好きな色、と何かで私が言っていたのを、覚えていてくれたのだ。

丁度今のマンションに越したばかりの頃で、真新しい簡素なヴェランダにとてもよく映えた。それが、三年前の春。

私は、ヴェランダ中をこの色で埋め尽くしたい位に気に入ってしまったのだが、毎週上京して留守がちな我が家としては、二鉢お花屋さんから買い求めて来て、仲間に入れた程度で満足して、何度かの盛衰を楽しんだ。

お花に関して無知な私も、ブーゲンビリヤには何となく執着してせっせと水遣りに励んだのだが、やはりヴェランダでの冬越えは難しい様であった・・。

ブーゲンビリヤをプレゼントされた秋、私はギリシャのミコノス島を訪れた。

エーゲ海に浮かぶこの島には、白亜の家々が立ち並び、道端には様々な色の花をつけたブーゲンビリアの木々が溢れていて、まるで絵本の世界の様であった。

何年か前に旅行したポルトガルにも、この木が家々の白壁を彩どっていた事を思い起こすと、どうやらこの木は地中海あたりの乾燥した地の植物であるらしい。

あれから、春になると毎年新しく買い求める我が家の鉢達も、私が仕事で不在の日が続いて帰宅すると、思いのほかたくさんの蕾を大きく膨らませていたりする・・。

二年前の秋、主人と1週間程海外に出かけて帰宅した時等、ヴェランダの一角があの赤紫色で占められていて、感動した。

昨年ヴァージョンの三鉢は、最初から少し大きめの鉢に植え替えた為か、枝がどんどん成長して花の数は余り多くは無かったが、葉っぱはいつまでも残っていて、とうとう暖かかったこの冬を乗り越えたのだ。

まるで、昔読んだO・ヘンリーの「最後の一葉」の様に、主人と残り少なくなった葉っぱの行方を、毎朝眺めていたのだが。

ある日、葉っぱの数がどうも減った様だな、と思ってみていたら、普段は植木鉢には手を出さない主人が、ちょっと出来心で水を注いだらしい。

ブーゲンビリヤは、乾燥した土地の木だから水は嫌いなのだろう、と私達はそれから暫くそっとしていたのだが・・。

昨日の朝、「芽が出てきたよ・・。」という主人の一声!

眼鏡をかけてヴェランダに出てみると、1.5メートル位に伸びた数本の枝の節々に、緑とも茶ともつかない彩りの、小さな葉っぱ達が沢山息づいていたのだった。

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2008年4月 8日 (火)

桜に埋まる・・。

今年ほど、お花見に恵まれた年は無かったと思う。

何故か、今年は満開が名古屋より東京のほうが早かった。

3月29日の誕生日に合わせて娘の住む中目黒に行くと、駅は何事が起きたのかと思うほどの人でごったがえしていた。

近くの目黒川沿いが、桜の名所なのだった。夕食に出かける途中に通りがかったのだが、川べりのしだれ桜は確かに風情があった。

4月に入ってからは名古屋が満開だというので、昨年に引き続き、有名な山崎川沿いを二時間位歩いた。さすがにこの日は疲れたけれど、充実感は味わった。

4月4日は勤務している東京の音大の初日だった為上京。名古屋から東京まで、新幹線沿線は、あらゆる処がピンク色に染まっていた。

この週末はお天気がよかったので、平和公園の山道を歩いてきた。広大な敷地内には公営の墓地もあるし、近くには東山動植物園もあって、もちろん一帯は桜で染まっていた。

最近は、自然の中を散歩したり山歩きをしている、私達と同年輩から少し上の人々をたくさん見かける。

昨年は、「2007年問題」、とまで言われた我々団塊の世代が退職を迎えた年である。

スニーカー・ミドルと揶揄されるくらい、気持ちの若い我々世代が、いよいよ余暇を得たとなれば、家にじっとしている訳は無い。

外で、何をするか・・。

桜に、圧倒されている様じゃなあ・・・。

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2008年3月 5日 (水)

モジリアーニ

先日、日経新聞に「モジリアーニ」に関する特集の記事が出ていて、思い出したのだが・・。

高校を卒業してしばらくしたある日、同じ大学に進学したクラスメイトと一緒に、担任の先生のお宅へ遊びに行った事がある。

英語の先生で怖かったのだが、型にはまらない授業は面白かったし、かなり個性的な先生だった。

ある時放課後に、「このレコード、聴いたことあるか・・?」と、タイプしたメモ用紙を下さった.事がある。

見ると、ベネディット・ミケランジェリの演奏したブラームス作曲「パガニーニ変奏曲」。

不思議な事にその曲は、翌年の日本音楽コンクールの課題に出て、私自身散々悪戦苦闘する羽目になる難曲なのだが、普段から生徒に応じて、そういった様々な発信を送って下さる先生であった。

英語の授業の副読本に、フォークナーの短編集を使用したり、高校生だった私達の世界を、多少なりとも広げて下さったのだと思う。

その先生のお宅で、とりとめもなく話をしている時に、モジリアーニの絵の事に話題が移ってゆき、「そういえばお前、モジリアーニの絵に似ているな」とおっしゃったのだ。

何気ない一言にすぎないのだが、言われた方は、それからモジリアーニが他人とは思えなくなってしまった・・。

モジリアーニに限らず、自分の作風を確立していくまでの、作家達の情熱には、還暦になった現在でも、感動的なものを感じてしまう。

昨日観た、勘三郎、柄本明、小泉今日子が出演していた映画「てれすこ」にも、そういった感動があった。

勘三郎を観ていると、彼自身の情熱にも打たれるけれど、仲間が又素晴らしい。

柄本明は、一体いつの頃から名前を知ったのか思い出せない位、地味な感じの役者さんだけれど、あの独自の世界は、体中にその役の人物が染み渡って、もはや一滴たりとも素の柄本明は存在しないかの様だ。

私は、モジリアーニやユトリロ、ドビュッシーなどに出会うと、余りにもフランス文化が自分から遠い存在に感じられて、疎外感すら抱いてしまう事がある。

一度どっぷりと、お湯に浸かったかのごとく、「フランス」という怪物が、じわじわと自分の体の中にしみ込んでくるまでに、素の自分が無くなるまでに、のめり込んでいけたらと思うのだが・・。

もし、フランス音楽を表現するならば、どこまで自分をフランス化できるかが勝負だろう。

近々、六本木の国立新美術館で「モジリアーニ展が」あるらしい。とりあえずは、そこでしばしフランス文化に浸かってこよう。

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2008年3月 1日 (土)

贈り物

娘が私に贈ってくれた最高のプレゼントは、インターネットの世界だ。

老後の楽しみにと、このブログを立ち上げてくれた上に、面白そうなサイトをいくつか教えてくれたのだ。

その中で現在私が、毎日アクセスするのは「ほぼ日刊イトイ新聞」。タイトルを聞いただけで、好奇心が湧いた。

以前、宮崎駿の「魔女の宅急便」のビデオを観ていたら、最期に監督と糸井重里の対談が出てきた。詳細はよく憶えていないのだけれど、その時の、糸井重里氏の尋ねた質問の面白さ。

「女の子が箒に乗って飛ぶシーンは、箒にも浮力がかかってるんですかねえ。そうじゃないと、上に乗っている女の子のバランスが崩れて、傾いてしまうんじゃないかな・・。」

「魔女の宅急便」は、アニメである。これは、アニメの画像の表現に対する質問なのだ。こんな風に、もの事をニュウトラルに眺めて、面白がる人生って楽しいだろうな、と大げさに言えば私は心をゆさぶられたのだ。

で、彼の本でも探してみようと思ったときに、娘がこの「ほぼ日刊イトイ新聞」のサイトを教えてくれて、それ以来すっかりはまってしまった。

毎日更新する糸井さんのコラムが、翌日になると読めなくなるのも、潔い。

毎日掲載される様々なメニューを、今バックナンバーで拾っていくと、糸井重里氏のお仲間達のバラエティーに富んだ顔ぶれの面白さにも度肝をぬかれる。

私が、いつかどこかの場で、気になったり、強く印象に残ったり、あるいはファンであったりした人々は、殆ど網羅しているかの様だ。年齢が近い事もあるだろうけれど・・。

宮崎駿から始まって、谷川俊太郎、タモリに山下洋輔。清水ミチコに矢野顕子や坂本龍一。赤瀬川原平に南伸坊。橋本治に大橋歩と、まだまだ奥は深そうだ。

昨日は、「ガンジーさん」というニックネームの付いた、末期癌を抱えている男性とのメールの交換記録に出会った。

「ミーちゃんの縁側」というお気に入りコラムもある。80代からのインターネット入門、といった副題がついていた。最近しばらくお休みなので、気になっているが、糸井重里氏のお母様らしいこのミーちゃんが、やはり品の良いニュウトラルな視線なのだ。

きっとミーちゃんにとって、コラムを続けるという状況が、息子さんからの素晴らしい贈り物なのだろうなと思う。

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2008年2月27日 (水)

舞台

昨日「恋はコメディー」という芝居を見た。浅丘ルリ子、渡辺えりが出演する翻訳コメディ。

二人の掛け合いも絶妙だったし、台本が最高に面白くて、散々笑って帰って来た。

渡辺えりは今まで見る機会がなかったのだけれど、物事の捉え方が大きいのだろうな、という印象を受けた。歌舞伎の脚本を書いたりする位だし・・。

そして、浅丘ルリ子。

あの美しさは文句なく素晴らしい。階段を高いハイヒールをはいて降りてくる仕草など、全く年齢を感じさせないのにはびっくりした。

浅丘ルリ子は昔から好きな女優さんだったけれど、寅さんシリーズのマドンナがきっかけだったのか、いつの頃からか凄い俳優さんに変わったと思う。美しい女形の枠からはみ出した、最近の福助と共通なものを感じる。

前日電話予約したときに、残席は二枚しかなかったらしく、当日の入り口には「本日の公演は完売いたしました」と札が出ていた。

集客に苦労している身としては、それだけでもひたすら感心してしまったのだが・・。

後ろの座席から、「やっぱりねえ・・。実際の年齢と、かけ離れすぎてるし・・・。水谷八重子なんかは、70歳すぎても吉右衛門相手に、19才の娘役をやって、せりふは完璧だったけどね。」と、しゃっべているのが、聞こえてきた。

その人は、単に自分の観劇経験を披露したかっただけなのかもしれない。が、客席総批評家という矢が、第一線のプロに対して放たれている怖さを、ひしひしと感じてしまった。

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2008年2月22日 (金)

仏像

ここ10年位前から何となく、仏像などが故国の素晴らしい芸術作品として、気になりだした・・。

オペラから入った歌舞伎の位置づけに似てはいるのだが・・。

昨日、家族が居なくて暇だったので、新幹線に乗って京都へ行った。名古屋からの所用時間は36分、感激的だ。

これだけ近い場所にあるのだから、少しずつ京都に土地勘ができる様、順々に歩いてみようか、とまずは駅より南の東寺へ行った。

東寺と思われる方向へ歩き始めると、まるで観光バスからおりてきたかの様な老若男女が、(まあ老が大半だが)列になって歩いているのに紛れ込んだ。このシーズンオフに・・・。

10分ほど歩くと、お寺に着いたが、交通整理も出ていて、そこは大勢の人々でごったがえしていた。

毎月21日は、開祖弘法大師の命日で法要が行われ、参道は縁日の賑わいの中、たくさんの出店が並んでいたのだった。

一方、拝観料を払って入っていく広い境内は、人もまばらで、静寂な気持で国宝を眺める事ができた。

そこで観た二体の仏像。最初は、薬師如来像。伏し目がちの目は、何も見ていない様でもあり、すべてを背負っている様にも見える。

座り方は、全ての重心が下にあって、体のどの部分にも無駄な力が入っていないからか、仏像の心が全く読めない。

仏像に限らず、顔のある美術品は、長い間眺めていると、こちらの気持が次第に静かになるからだろうか、表情が色々変わって見えてくる様な気がする。

しかし、この如来像は、じっと座っているだけで深淵な思惟から動かない。

次に観た、大日如来は、目がやや開いているので視線の先がまっすぐこちらに向かっていて、ささやかな対話が成立しそうな気がする。

言ってみれば、人間的な気がする。

アガサ・クリスティの推理小説に、ミス・マープルという謎解き名人が居る。

このおばあさんは、田舎町にずーっと住み続けていた経験から、事件を巡る人物達の人間性を、過去に出会った様々な人との共通性と照らし合わせて、謎を解き明かしていくのだった。

仏像も、過去に出会った誰かとの類似を見つけると、親近感が感じられてちょっと安心するのかもしれない。

私は、仏像を観るのが好きだけれど、表情からは計り知れない存在感の何かに、強く惹かれる。

それは、若い日にフィレンツェで見た、ミケランジェロのダビデ像の印象とは、全く異質な感動かもしれない。

あれは、青年のエネルギーがみなぎっていた。大理石というのも、ちょっと人間に近いものを感じる。

「そうだ、京都、行こう」、の第一日目は、午前中の東寺ですっかり満足してしまい、その後は少しずつ北上しながら、南禅寺の山門や、教えて貰った永観堂のみかえり阿弥陀如来像等を見た。

私は、当てもなく歩いて居るのがとても楽しい。

それが、京都だと、突然祇園の裏道に紛れ込んでしまって、昼間の舞子さん達が行き交って挨拶しているのにぶつかったり、白い壁がずーっと続く、静かな古い住宅街に入り込んでしまったり・・。

ご免なさい、京都で静かに暮らしている皆さん、という気持だった。

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2008年2月15日 (金)

神童

最近、「神童」という映画が公開されたらしいのだが、主人公の女の子の弾くピアノを、吹き替えで実際に演奏していた少女の、演奏会を聴きに行った。

現在13歳だという日本生まれのその少女は、5歳の時に母親と共にウィーンへ移り住み、ヴァイスハール門下生となって、現在も当地で勉学を続けているらしい。

リサイタルでは、4曲のモーツアルトとショパンの小品を弾いた。

モーツアルトの演奏を聴いていると、やはり日本育ちの我々とは音楽の聴き方がちがうのだろうな、という印象を強く受けた。

音楽を立体的に聴いている、といえばよいだろうか・・。

バレーの舞台で踊る、男女ペアのバランスを思わせる・・。

まるでバレーの男性役の様に、低音の響きが、曲の中の役割の分担に応じて、バランスを変化させていくのは、聴いていてとても楽しかった。

環境の力の、大きさなのだろうか。

絵心の無い私は、絵を描いている人を側で眺める度に、きっと対象物を見る目が違うんだろうなあ、といつも思う。

技術は、多分その後に付いてくるものだろう。

「どんな聴き方をするか・・」

これはきっと、どんな生き方をするかに関わって来るのだと思う。

まあ、西洋音楽は、西洋で暮らす人にとって、自然である事は確かだよなあ。

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2007年12月10日 (月)

暇つぶし

今年の春ブログを始めた時に、ホームコンサートのノリでピアノを弾いて、それをアップしてみようかな、と簡単に考えていたのは甘かったなあ・・・。

最初の設定から全て、「他人の何とやら」での土俵だったから、まあ当然と言えば当然なのだけれど。それでもアップの仕方を詳しく書きとめて貰って、ノートを見ながら、一度は実行したのだった(ノクターン遺作)。

だがそのうち、パソコン本体にトラブルが生じて他の機種に替えてからは、もはや手が出せなくなってしまった。

機械に疎い私にとって、分不相応の試みだったと言うべきだろう。

私くらいの年齢になると、勿論商業ベースとは関わり無いのだが、保存の為に自分の演奏の録音を、デジタル化する人も多いし、誘われることも多々ある。

で、そういった事を還暦からの暇つぶしに、もし自分の手でできたら楽しいかな、と想像してみたのだったが・・。

はてさて、これから老後へ向けての暇つぶし。又、何か新しい事を探さなくては・・。

それとも、初志貫徹か・・?

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2007年10月 1日 (月)

受け渡され行く「はじまり」の鼓動

普段自分でピアノを弾いている時、全てを言語に置き換えて考える必要は、必ずしもない。しかし、誰かにレッスンをする状況となると、弾いてイメージを伝える場合も間々あるとはいえ、基本は言語で思いを相手に伝えなければならない。

曲に対するイメージを、言語に置き換えて伝えるという手順は、自分の中で分析した事柄が、果たして相手に伝わっていくか否かという、大げさに言えば、「試金石」の様な役割も担っていると言えるだろう。

そして毎週月曜日。大学で一日のレッスンを終えて、不得手な運転をしながら家路につく時、置き換えた言葉の数々が、全ては表出されずに自分の中にたまっているといった、どこかストレスの様なものを、私は感じているのかも知れない。

帰宅すると、快い疲労と共にパソコンに向かって言葉を並べるというパターンが、最近の私の習慣になってきている。

今日は長い夏休みを終えた、後期最初の出校日。久々にパソコンに向かう心境である。

でも、思い浮かぶのはやはり、一年半ぶりに開くリサイタルのことになってしまう。

11月10日に予定している、そのプログラムは、バッハの「パルティータ1番」シューマン「謝肉祭」ショパン「24のプレリュード」という小品達で、数えてみると50曲に及ぶ、珠玉の連なりである。

 受け渡され行く「はじまり」の鼓動

というキャッチコピーが、それらの曲達と共に、伝わっていけば嬉しいのだけれど。

それぞれの曲の素晴らしさは、、ピアノに向かっている時間を、実に楽しくさせてくれる。それが音になって表現されていけば、こんなに幸せな事は無いのだが・・。まあ楽しさからの出発は、決して悪い事ではないだろうとは思っているけれど。

これから暫くは、又「言語」より「音符」の方に、時間の重みが傾いていく日々かな。

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2007年7月23日 (月)

まだ先なのだが・・。

11月10日に名古屋でリサイリタルを予定している。まだまだ先なのだが、普段は雑用が多くて、じっくりピアノに向かう時間を確保するのは難しい。夏休みが始まってやっと、気持が準備態勢に入ってきた。

以前から私は、ピアノの演奏会へ行っても、技術的な面がどうしても気になってしまい、ゆっくり楽しめないのが気になっていた。

座り方とか、椅子の場所だとか、腕の伸ばし具合、脱力等はどうなっているだろう。

そして例えば、最初のフォルテをあの音量で弾く場合は、展開部ではどの程度にコントロールするのかな・・。あのテンポで始めたら、後半の速度の変化は果たしてどの様な効果になるのだろう・・、等々。

大家の演奏を聴いたときは、まるで研修を受けているみたいだし、若手に対しては批評家の様な聴き方だったのだ。

それは、ことピアノに関すると、自分の耳が鑑賞モードから離れてしまう故なのだ。よく言えば、研究熱心という事かもしれないのだが。

オーケストラやオペラを楽しむ様に、ピアノも楽しめる様になりたい。演奏会でピアノに感動する耳を持ってこそ、自分の弾くピアノも楽しめるのだろう。

ある時私は、はたとそう思い当たったのだ。荒療治に踏み切るかどうか、迷っている場合ではなかった。

他の楽器の様に、ピアノも、自分が演奏するという事は忘れよう。

それから、私はピアノに向かう暇があればコンサートに通い、CDを聴いた。三,四年続けたかもしれない。

一日たりとも練習をおこたってはいけない、といった体育会系的な面からみての、つまりは逆荒療治であったが、現実にはそれはそれは、贅沢で楽しい日々であった。

もっとも、ピアノ教師は続けていたから、ピアノを弾かなかった訳ではないが、スタンスを替えてみたのだ。

そしてある日、ウィーンフィルの音色を、あの楽友協会ホールで聴きながら、私は幸せな気持ちに包まれて、理屈ぬきに、自分でも又演奏したくなったのだった。

今ピアノを弾くときに、聴くモードにワープできているかどうかは、わからない。でも、たくさんの音楽を聴いたあの楽しさは、私のどこかに浸透しているだろう、とは信じている。

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