歌舞伎

2008年5月19日 (月)

弁天小僧、そしてモジリアーニ

先週の土曜日、中学校の同期会が東京であった。前日の金曜日、東京での仕事を終えてそのまま泊まり、夜は歌舞伎座へ行った。

今月は「団菊祭」なので、何といっても顔ぶれが素晴らしい。

夜の部は、「弁天小僧」の通し狂言。待ちに待った、菊五郎である。

日本駄右衛門の団十郎をはじめ、、左團次・時蔵・三津五郎とういう面々が、今回が27回目という菊五郎の弁天小僧と連なって、傘をもって居並ぶ場面は、文字通りぞくぞくした。

以前に見た勘三郎の弁天小僧も楽しかったが、この演目は音羽屋の家の芸なのだという。

それを知らなくても、菊五郎の弁天はかねてから是非にと思っていた舞台であった。

「せりふは、覚えるというより体に入ってる」、とご本人が言うとおり、「知らざあ、言ってきかせやしょう・・」の、あの歯切れの良い粋な江戸っ子風情は、ちょっと類が無いと思う。

そして、あの姿の色っぽさ!

翌日の午前中は、数時間ゆとりがあったので、六本木の国立新美術館へ「モジりアーニ展」を見に行った。

沢山並ぶ肖像画の中で、亡くなる前年に描いた「ブロンドの若い娘の胸像」と「女の肖像」の、モデル達の表情が印象に残った。

二人とも、ごく平凡な若い女性である。

「女の肖像」の女性の佇まいは、穏やかで大人しくて、自分の目立たない存在を黙って受け入れている様に見える。

「ブロンド」の娘は、怒っている。自分の置かれた、多分恵まれない環境に怒っているのか。

それとも、醜いと自己評価している自身の容姿に対してなのか、例のアーモンド型の目から、強い気持ちが伝わってくる。

この二人のそれからの人生は、どの様に続いていくのだろうか・・・。

ブロンドの娘は、怒り続けて人生を終わる事になるのだろうか。それとも強い意志で、自分の道を切り開いていくのだろうか。

穏やかな娘は、人知れずその平凡な人生を終えるのか。それとも、穏やかさが、回りを優しく包んで、幸せな一生を送る事になるのだろうか・・。

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2007年5月29日 (火)

「泥棒と若殿」

今月の歌舞伎座は「団菊祭」であったから、団十郎と菊五郎の「勧進帳」が、勿論目玉である。

有名な「勧進帳」だが、数年前に吉右衛門の舞台を一度観ただけなので、今回は万難を排してという勢いで観に出かけた。

私は吉右衛門という役者は、喜劇にその本領を発揮するのでは、と常々思って居る。余り賛同者は居ないのだけれど・・。

彼の、「身代わり御前」の奥方役を演じた素晴らしい舞台は、ちょっと忘れ難い。一方「籠釣瓶」などの悲劇では、彼の押し出しが立派な故、田舎から出てきた野暮な商人のイメージにいささか馴染まない様に思った。

その点、襲名公演で見せた勘三郎の「籠釣瓶」は、玉三郎演じる花魁に魅入られた素朴な田舎者の感じがよく出ていて、いかにも哀れを誘う名演だった。

「仮名手本忠臣蔵」の一力茶屋の場面で演じる、吉右衛門の大星由良之助は、一面的には喜劇的要素もあるし、何と言っても彼の役者としての格の大きさが現れて見事だったけれど・・・。

そういった先入観が、私の中にある故か、吉右衛門の「勧進帳」の弁慶も、立派ではあったけれど、観たという記憶以外に、余り強烈な印象は残っていない。

団十郎の弁慶は、最初のせりふのトーンからして、何かぞくぞくさせるものがあった。

あの大きな目が、如何に重要な役割を担っているか。そして、大病を克服した体で、あの動きである。団十郎は、病後に復帰してから、一段と格が上がった印象を受ける。そして、役者と観客が一体となって、彼の再起を喜んでいる歌舞伎座の雰囲気が、何とも言えず楽しい。

夜の部の最後は、「め組みの喧嘩」。菊五郎の世話物に関しては、あれこれ語る言葉は全く不要である。彼は演じているのではなくて、喧嘩っぱやくて人情にもろい、江戸っ子の日常を、ちらと現代人の我々に覗かせてくれているだけなのだ。

その粋で色っぽい菊五郎の、右に出るものは、現在では多分居ないだろう。強いて言えば、海老蔵かもしれないが、還暦を迎える観客にとっては、まだちょっと若すぎるかな。

前座のような気分で観た、最初の作品、山本周五郎原作の「泥棒と若殿」は、三津五郎の若殿に松録の泥棒。この松録が、実に良かった。

数年前に、辰之助が松録を襲名した頃、ぐいぐいと実力をつけてきた彼を見て、「名前が役者を育てるというけれど、成る程なあ」と思ったものだった。

海老蔵襲名以前の新之助と、菊之助と、それに松録になる前の辰之助の三人を、それぞれの父親達がかつてそう呼ばれていた様に、三之助と言われていた時期があった。

その頃の辰之助とは、役の格も変わるのかもしれないが、襲名後はどんどん気迫が出てきて、役者として大きくなっていくのだな、と思いながら観ていたけれど・・。

松録は、せりふのカ行に可愛らしい舌足らずの癖があって、例え舞台が真っ暗であっても、彼の語り口は直ぐ識別できる。随分長い間、団十郎の口跡を批評する人が居たけれど、彼はこれから、それに似た苦労を背負っていくのかなあ、等という思いで観ていたが・・。

しかし、今月の「泥棒と若殿」では、暫くの間、松録演じる泥棒の間抜なお人よしに笑い転げて、彼の普段の癖の事は全く念頭に浮かばなかったのだ。

途中で、ふと気付いて私は、思わず胸が熱くなってなってしまった。想像に過ぎないが、大役を仰せ使って、彼は一つ一つのせりふを矯正していったのではないのか・・・。

ピアノでも、「マムシ指」と呼んだりする、親指の付け根が内側に曲がる癖をもっていて、その為に苦労する人が意外に多い。手を広げて和音を弾く際に、不利な要素になるのだが、癖を治すのは簡単ではない。

その事に真剣に立ち向かう生徒が、一音一音手の形を見極めながら直してきたらしく、そのさわやかな成果を見せてくれる事が時折ある。そして教えているこちらが、密かに感動させられてしまった経験も、今までに何度かある。

松録に関しては今まで、早くに父親も祖父も失ってしまった、後ろ盾のない、それ程大きな名跡も背負わないその境遇に、判官贔屓の様な気持ちを持って眺めていたのだが・・。

しかし今回、背景とは無関係に、彼の役者としての心意気が強く印象に残った。今月の歌舞伎座で得た一番大きな収穫だったと思う。

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