♪-演奏ブログ

2008年7月12日 (土)

作曲家の自画像

シューマン作曲、「謝肉祭」から。

作曲家自身の、内向的な分身像”オイゼビウス”をアップしました。

「謝肉祭」は、いわゆるカーニヴァルといわれるもので、かつては「宗教行事」の一つの、お祭り騒ぎであったらしい。

20曲の小品からなるこの曲は、ピエロが出てきたり、パンタロンとコロンビーヌというコンビの道化師(?)が出てきたり、楽しげな題名が連なっている。

そして、後に妻となったクララや、同時代の作曲家ショパン等と共に、シューマン自身の、内向的そして外交的な分身像も現れる。

作曲家が、特定の有名人を想定してタイトルをつける事は時々ある。

ドビュッシーの「グラドス・アド・パルナッスム博士」は、クレメンティーを揶揄しているし。

チャイコフスキーの長大なピアノ三重奏曲「偉大なる芸術家の思い出の為に」は、著名なピアニスト、ニコライ・ルービンシュタインを追想している。

しかし自分自身を、ニックネームとはいえタイトルにしている例は、ちょっと珍しいのではないだろうか。

この曲は、彼のロマンチックな一面をあらわしているに過ぎないのだけれど、概して「シューマンの曲は、難解」という印象を持つ人が多い様である。

ハーモニーの進行の美しさ、等という彼の特徴は、一度聴いただけでは覚えにくい事もあるのだろう。

逆に言えばだからこそ、弾く者にとっては奥が深くて、充実した味わいのある作品達なのだけれど・・。

多分、シューマンの作品は、聴くより弾く方が楽しいのだと思う。

「シューマンの曲を聴くのって、釣りをしている人を眺めているのに似ているね」と言っていた人がいて、成程と妙に納得した事があった。

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2008年6月21日 (土)

友達になるとしたら・・・。

様々な作曲家の作品を弾きながら、彼らはどんな人物だったのだろうか、と思いを巡らす事は多い。

ベートーヴェンはどの程度の高さの声でしゃべっていたのだろうか。歩く時は早足だろうか。余り高笑いはしないだろうな・・。

映画「アマデウス」の影響で、高笑いはすっかりモーツァルトの専売特許になってしまった。

ムソルグスキーは、あの「展覧会の絵」のプロムナードを聴くと、多分体重があって、ゆったりとした足取りで絵の前を歩いていたのだろうなあ、等など。

若い時は、ショパンに出会ったら何を話してよいかわからないだろう、と思っていた。

彼は、個人主義の天才で余り他人に関心がないのでは・・?

シューマンは、その評論活動でまだ無名だった同い年のショパンを取り上げて、「諸君、脱帽し給え。天才だ!」という、有名な言葉を残している。

一方、ショパンがシューマンに関して、何か語った言葉が伝えられているだろうか。

シューマンは、様々な芸術家達と親しく交際しているし、ブラームス等若い作曲家を世に紹介する労を惜しまなかった。

きっと彼は思いやりがあって、「友人」としては素晴らしい相手だろう、若い私はそう思っていた。

ところが、「謝肉祭」に登場する美しい小品、「ショパン」を聴いてみると・・・。

譜面を眺めれば、右手が淡々と旋律を歌い、左手の美しい分散和音がハーモニー奏でる、典型的なショパンのスタイルなのであるが。

ひとたび響きとなって聴いてみると、それはまぎれもなく、シューマン独特のハーモニーの連なりである。

人の心を揺さぶる様なこの内向的な世界を、誰も、あの華麗さとはかなさの行き来する、ショパンの音楽だとは思わないだろう。

こうしてみると、シューマンは、結構したたかな面もあったのかもしれない・・。

私自身は、20曲の小品からなる「謝肉祭」のなかでも、「ショパン」はとても好きな曲で、アンコールに弾いてみた事もある。

シューマン作曲、謝肉祭から「ショパン」をお聴きください。

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2008年6月10日 (火)

真実なる女性

原田光子著の「真実なる女性、クララ・シューマンの生涯」という本が、少女時代の愛読書であった。

天才ピアニストとして世の中にもてはやされた、目が大きくて無口な少女、クララ・ヴィーク。

長期にわたって実父に反対されながら、若い作曲家ロバート・シューマンとの愛を貫いた強い女性。

夫がやがて病に倒れ、そして亡くなった後も、シューマン夫人として演奏活動を続け、夫の曲を世に紹介していった女流ピアニスト。

二冊に分かれた小さな文庫本を、私は殆ど毎日の様に開いては、ロマン派の中枢に生きた二人の音楽家に思いを馳せていた。

高校1年の時、読書感想文にこの本を選んで、校内で優秀賞を貰った嬉しい思い出もある。

お気に入りの、シューマンの作品。「交響的練習曲」や「ピアノ協奏曲」を聴いているときには、まるでシューマン夫妻と一緒になって、ロマンチックな気分に包まれている様な気がした。

シューマンの「謝肉祭」を初めて知った時は、次々に姿を現す人物像が楽しくて、たちまち夢中になった。

大学三年の学内演奏会で、この曲を弾いた。

木造の古いホールの響きがちょっと忘れがたく、その後もホールが使用されていない時間を見計らって、よく潜り込んだ。

鍵のかかったピアノの開け方はベテランから伝授があって、そこで自由に(?)スタインウエイのフルコンを弾く気分は格別だった。のんびりした時代である。

学生の演奏会だから聴く人も少なかったけれど、そこはそれまで様々な人々の演奏が繰り広げられ、そして又未来に向かっての可能性も内在される、学生達の殿堂であったのだ。

「謝肉祭」の登場人物の中での圧巻は、ショパンとパガニーニだろう。そして二人の女性達、初恋の相手エルネスティーネと、やがて妻となるクララ。

「キャリーナ」という愛称で現れるクララは、情熱的で力強い意思が感じられる。若いシューマンが、少女だったクララをどんな風に眺めていたのか・・・。

シューマン作曲、謝肉祭から「キャリーナ」をアップしました。

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2008年5月31日 (土)

バッハのサラバンド

バッハの緩徐楽章を弾いていて、いつも迷うのはテンポである。

勿論ロマン派の作品の様にテンポを揺らす訳ではないのだが、人間の感受性は時代を超えて、そう大きく変化するとも思えない。

バッハの組曲に必ず出てくる「サラバンド」は、叙情性豊かな緩やかなテンポの舞曲である。

表現する時点で、どの様にテンポをバランスよく感じていくか・・。

その点本番は、一回勝負であるだけに「弾いたもの勝ち」の気楽な面も否めない訳で。

そんなノリで聴いて戴けましたら幸いです・・・ 。

バッハ・パルティータ第Ⅰ番より「サラバンド」

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2008年5月13日 (火)

昨年のブログに関連して。

音源をアップする事が出来る様になった記念に、昨年書いたブログに関連する曲を、アンコールで弾いた演奏で、貼り付けてみます。

バッハ作曲・平均律第1番プレリュード

「父」

二週間程前、私はピアノリサイタルでバッハのパルティータを弾いた。シューマンの「謝肉祭」ショパンの「24のプレリュード」と続けて、アンコールにはバッハの平均率1番のプレリュードを弾いた。

グノーが、旋律をつけて「アヴェ・マリア」を作曲した、有名な曲である。演奏会の数日前に、この曲を弾く事にした時、私は教会のイメージで弾ければ、と思った。

まず思い浮かんだのは、数年前に訪れたポルトガルの漁村ナザレ。ケーブルカーで上って行った、奇跡があったと伝えられる、丘の上に建つ人里離れた教会。

そして、次に思い浮かんだのは、30年前に北イタリアのボルツァーノで開催された、ブゾーニ・国際コンlクールに私が参加している最中、東京の留守宅で父が急逝した、その時の情景だった。

あの時私は、長い間川岸のベンチにすわって、道行く人々を眺めていた。そして、私の中で父を忘れ去らない限り、私の中の父は生き続けているのだ、と自分自身に言い聞かせていた。

人生に別れはつきものなのだ。還暦を目の前にして逝った父とは、早すぎる別れではあるけれど、遅かれ早かれ別れとは、やってくるものなのだ・・。

バッハのプレリュードをを弾きながら、私は、一体父は今何処に居るのだろう、という理不尽な思いに捉えられた。

昨年リサイタルした時は、数ヶ月前に亡くなった親しい従妹の思いがずーっとあって、アンコールのショパンのノクターンは、彼女と会話している気持ちで弾いたのだった。

あの頃は、練習している時いつも、ピアノの側には彼女が居てくれる気分であった。

バッハを弾きながら、私は今まで父を悼んだ事があったのだろうか、とハタと思い巡らせた。異国でコンクールの最中に訃報聞いた時、私はあえて悲しみを直視せずに、周りの人々に迷惑をかけたりせず、取り乱したりせずに、とそのことに全勢力を傾けた様な気がする。

「実感がわかない、というのは残された者には、慰めにもなり救いである」という言葉にも甘えていた様に思う。

そして、それからずっと、現実を直視せず父の不在にもいつしか慣れて、今日まで来てしまった事に、今、突然気づいたのであった。

今回のバッハは、私が初めて亡き父に語りかけた悲しみの言葉だった様に思う。

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2008年5月12日 (月)

前奏曲

連休中、娘が暫く我が家に滞在していたので、ネット関連で、色々教えて貰った。

まず、パソコンを新しくした事もあり、音源をブログにアップする方法をマニュアル化。「演奏ブログ」も復活できそうで、還暦の道楽がいよいよ佳境に入ってきた。

今回は、昨年のリサイタルで最初に弾いた、バッハ・パルティータⅠ番から「前奏曲」を試しにアップしてみます。

ライブなので多少の傷がありますが、久々という事でお聴き頂ければ嬉しく思います。

 

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2007年4月15日 (日)

ノクターン遺作

高校生の頃テレビの音楽番組で耳にした、ショパンの聴きなれないノクターンの一曲。その頃好きだったショパンのピアノ協奏曲に似たフレーズが出てきた事もあって、とても強い印象を受けた。

早速自分でも弾いてみたいと思い、その頃勉強に使っていた春秋社版の楽譜の中から、「ショパン・ノクターン全集」を出してきて、ぱらぱらとめくってみたのだが、何故かその曲は見つからない。

海外で出版されている楽譜には載ってるのだろうが、当時それらをとり寄せるには、まずヤマハの銀座店で予約して、それから3ヶ月位は待つというのが常識であった。高校生の手には余る話だし、そのままその曲の事は忘れてしまった・・。

そして数年前。教えていた学生が「この曲を弾きたいのですが・・。」と言って持ってきた楽譜が、その幻のノクターンだったのだ。まさに数十年ぶりの出会いというところである。遺作だった為に、全集の楽譜にも載っていなかったのだと思う。

それは、「戦場のピアニスト」という映画の中で、繰り返し流れてくるメロディーだった。彼女の持ってきた楽譜を見ながら私はためしに弾いてみて、シンプルなその曲の美しさに二人で感動してしまった。

映画の効果なのだろう。それから随分色々な人がレッスンに持ってきて、最近ではこの曲も耳慣れた一曲になった。すっかり有名になったこの曲は、現在様々な楽譜に載っているらしく、持ってくる人それぞれの版によって、ちょっとした違いがみられる事が多い。

不思議に思っていたが、どうやらショパン自身の手稿は火事で消失してしまった為、何人かの人達が写譜したいくつかの楽譜が残っていて、その結果若干の差異が生じているらしい。

演奏会のアンコールで弾いた時の録音を、久々にアップしてみました。

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2007年3月 1日 (木)

亡き王女のためのパヴァーヌ

東京から名古屋に移って三年。昨年は、新しい地元で初リサイタルを開きました。この「亡き王女のためのパヴァーヌ」は、休憩をはさんでプログラムの後半の、最初に弾いた曲です。

昔々、五歳になったばかりの娘に、私の友人が「うちのピアノの発表会に出てみない?」と声をかけてくれた事がありました。いたずら弾き専門だった娘の初舞台・・・。その時、母親の私が大胆にも思いついた曲が、ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」でした。子供が弾ける様に白い鍵盤だけのハ長調に替えて、伴奏パートは私が分担する連弾曲にアレンジして、恐れを知らない子供はこの美しい旋律を弾いたのでした。

私がワルター・ギーゼキングのレコードでこの曲を初めて聴いたのは、小学生の頃でした。繰り返し繰り返し聴いていた、近寄りがたい程に美しい曲。少ない音の進行で、ラヴェルの響きの美しさが、余すところ無く表現されています。

「亡き王女のためのパヴァーヌ」は、オーケストラの魔術士とも言われた作曲者ラヴェル自身によって、後にオーケストラ用に編曲されました。ゆったりとした美しいメロディをもつ小品で、題名は具体的な意味よりも言葉の響きで選ばれたと言われています。

リサイタル当日の演奏を、ブログ演奏の第Ⅰ弾としてアップしましたので、よろしければお聴きください。

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