作曲家の自画像
シューマン作曲、「謝肉祭」から。
作曲家自身の、内向的な分身像”オイゼビウス”をアップしました。
「謝肉祭」は、いわゆるカーニヴァルといわれるもので、かつては「宗教行事」の一つの、お祭り騒ぎであったらしい。
20曲の小品からなるこの曲は、ピエロが出てきたり、パンタロンとコロンビーヌというコンビの道化師(?)が出てきたり、楽しげな題名が連なっている。
そして、後に妻となったクララや、同時代の作曲家ショパン等と共に、シューマン自身の、内向的そして外交的な分身像も現れる。
作曲家が、特定の有名人を想定してタイトルをつける事は時々ある。
ドビュッシーの「グラドス・アド・パルナッスム博士」は、クレメンティーを揶揄しているし。
チャイコフスキーの長大なピアノ三重奏曲「偉大なる芸術家の思い出の為に」は、著名なピアニスト、ニコライ・ルービンシュタインを追想している。
しかし自分自身を、ニックネームとはいえタイトルにしている例は、ちょっと珍しいのではないだろうか。
この曲は、彼のロマンチックな一面をあらわしているに過ぎないのだけれど、概して「シューマンの曲は、難解」という印象を持つ人が多い様である。
ハーモニーの進行の美しさ、等という彼の特徴は、一度聴いただけでは覚えにくい事もあるのだろう。
逆に言えばだからこそ、弾く者にとっては奥が深くて、充実した味わいのある作品達なのだけれど・・。
多分、シューマンの作品は、聴くより弾く方が楽しいのだと思う。
「シューマンの曲を聴くのって、釣りをしている人を眺めているのに似ているね」と言っていた人がいて、成程と妙に納得した事があった。
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