老楽手
シューベルトの歌曲集「冬の旅」の終曲は、昔の楽譜では「老楽手」と訳されていたと思う。最近は「辻音楽師」が多い様だが。
父が若かった頃、楽譜は読めないのだが、アルコールが入ったりすると自分で何か歌うのが楽しみで、まだ子供だった私も、よく伴奏に付き合ったものだった。
父の数少ないレパートリの中に、その「老楽手」があった。何と懐かしい響きだろう・・・。当時の私は勿論、漢字から想像する意味、位しかわからなかったけれど・・。
今日久々に、フィッシャー・ディースカウとジェラルド・ムーアのCDを聴いた。そうか、こんな曲だったのか。
24曲目まで、長い行程があって、最後に行き着いた終曲。ムーアの伴奏では、その思いが、ちょっとした間の取り方で、ハッとする様に表現されていて、驚かされた。
シューベルトの最後のピアノソナタ・変ロ長調を、初めて聴いたのは、ハンガリー出身のV先生のリサイタルだったと思う。
歌曲や交響曲に比べて、シューベルトのピアノ曲に余り魅力を感じていなかった私は、その時、今までは感動的な演奏に出会っていなかっただけなのだと、気づかされたのだ。
80歳を既に過ぎた先生の演奏は、丁度あの老楽手の曲の様に、世俗的なこの世から一歩踏み出した孤独感と、それを受け入れている静けさが漂っていて、ホール全体には寂しさが溢れていた気がする。
30歳を超えたばかりの青年とは、とても思えない作曲者の、まるで晩年を思わせるあの作風は、一体何なのだろう・・。
その頃、「ノットゥルム」という映画を、ミニシアターで見た。シューベルトが亡くなるまでの数年を丁寧に描いた、かなり長い映画だったが、シューベルトの孤独が少し理解できた思いだった。
罹病、という不幸。更に、貴族の友人たちとの交流の中で、超える事のできない身分違いという現実。
還暦を迎えた現在でさえ、シューベルトの最後のソナタが弾ける心境に至らない自分は、何と平坦な人生を送ってきたのだろう・・・。
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