カナダ

2008年6月16日 (月)

イスラムの友達

これも、ESLのお仲間の思い出であるが。

夏休みのシーズンになると、ESLのシステムも変わって、場所はオタワの中心街で一本化され、勿論顔ぶれも新しくなった。

そこで親しくなったエジプトの若い女性は、住まいが近いばかりではなく、お互いの主人が同じ研究所に所属していたこともわかり、共通の話題もぐっと広がった。

その頃オタワの市内では、私も日常的に運転していたので、朝はハナという名前の彼女の自宅に寄って、彼女と共にESLへ行くという習慣が出来上がっていった。

彼女は、様々なイスラム系の人に出会うと親しげに話しを交わす。

相手の国は、ヨルダンだったりイラクだったりするのだが、言葉は大体共通なのだという。

それぞれが方言くらいの違いで、その中でエジプト弁は標準語に相当するのだ、と彼女は言っていた。

ある時、「イスラムの仲間で子供連れの人が近くに住んでいるのだけれど、その人も一緒に車に乗せて貰えないだろうか」と頼まれた。

英会話のクラスに、毎回二人の幼児を連れてくる若い女性がいて、ちょっと人目を引く存在であったのだ・・。

それからは、その三人の親子も迎えに行く様になって、若干教室に着く時間が遅くなる様になった。

着いた時には駐車場は既にふさがっていて、やむなく路上駐車という状態が続いていたのだが、イスラム社会ではお互いに助け合うのが当然なのであった。

ある日、帰ろうと思って車の置き場所に行ってみると、私の車が影も形も無い・・。

どうやら、レッカー車で運ばれたらしい・・。

ハナは心配して一緒に付いてきてくれたが、英会話教室に通っている様な外国人二人の事である。本当に困ってしまった。

たまたま近くにガソリンスタンドがあったので、とにかく相談してみた。余程、途方にくれているのが伝わったのだろう。

運ばれた車の、行き先は見当がつくからと、何とそこまで車で連れて行ってくれたのだ。ハナが一緒で、本当に心強かったのだが。

そして又、イスラムのお仲間との通学が続いたのだが、ある日その母親が怒りをぶつけてきた。

担当の教師に、子連れで来るのは止める様に言われたのだそうだ。

「私の子供は、いつもおとなしくて、皆の邪魔なんてしないのに・・。子供を連れてくるなと言われたら、私はどうやってここに来たらよいというのだ!」

フランスやイギリスで起こる、イスラム圏からの移住の人々との摩擦が、時々ニュースになっているけれど、その度に私はその若い母親を思い出す。

一度、我が家でハナ夫妻や研究所の方を招いて、ホームパーティーをした事があった。

イスラムの人々は豚肉を食べないと聞いていたので、気をつけて準備した筈なのに、うっかりメニューの中に交えてしまったハムサラダを、ハナのご主人が綺麗にハムだけ脇に寄せて食べていたのに気づいて、私は宗教や常識の違う世界で生活する彼らの困難さを、つくづくと感じたのだった。

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2008年6月14日 (土)

サリーの女性

20年位前、私がカナダに住んでいた頃、カナダでは移住者の為の英語教育が盛んであった。

子供の通う学校には、ESL(English as a secoud language第二言語としての英語)というクラスがあって、外国人の子供たちには別途英語教育の補習授業が行われていた。

更に、地域のコミュニティセンターにも、大人の為のESLのクラスもあった。

事前にそういった情報を得ていたので、、私は生活が落ち着くとすぐさま、コミュニーティセンターへ様子を聞きに行った。

最初から主人の仕事の関係で、一年間という契約で移り住んだオタワだったので、私はその間は、長い休暇を過ごす様なつもりで楽しもうと思っていた。

最初の日にESLへ出かけて行った際、私は出来る限りの語彙を使って自己紹介をしたお陰なのだと思う、最上級のクラスに入る事に決まったのだった

海外で英会話の教室に通う日本人は、実力があるにも関わらず余り自己主張をせずに、ゆとりあるクラスで勉強しようと考える人が多い様に思う。

そこでは、他のクラスに同胞の姿が大勢見られたにも関わらず、私のクラスでは、恥ずかしながら私が唯一の日本人なのだった。

カナダは英語とフランス語が公用語らしく、特に首都であるオタワでは、日常でも二つの言葉が飛び交ってる。

私のクラスは、フランス人とかスイス人といった、母国語のフランス語で何とか暮らせるけれど、一応は英語も勉強しようという長期滞在の人が殆どであった。

その中に、一人ドイツから来たらしい人が居たので、休憩時に思い切ってその人にドイツ語で話かけてみた。

異国で母国語を聞くのは、特別の感覚なのだろう。

それからの一年間は、そのパオラと名乗る年上の女性が、様々な場に連れて行ってくれたお陰で、どれだけ行動範囲が広がったか、計り知れない。

オタワは首都なので、大使館がひしめいていて外国人といえば大使館関係者が圧倒的に多かった。

オタワで一番格式の高い、シャトーローリエというホテルで開催された、主に大使館関係のレディース・クリスマスパーティは、華やかで豪奢で、今でいうセレブな香りのする集まりだったし。

冬になると、どの程度の頻度であったか忘れたが、雪靴をはいて銀白の広野をお散歩するという「スノー・シューイングの会」というのにも誘ってくれた。

毎回ホステスは、いずれかの国の大使夫人で、雪靴散歩で汗をかいた後は、大使公邸でランチパーティというのが恒例であった。

何しろ、雪靴はいてウォーキングだから、皆寒さ対策のラフな姿である。

その中で只一人、サリー姿のスリランカの女性が、ひときわ美しく輝いていた。

TPOとはよく言われるけれど、でも常に自分のスタイルを守る洗練された姿の美しさを、私はその人に教えられた気がした。

私の賞賛の言葉が、余程その人の心に響いたのだろうか。

後日、彼女からホームパーティのお誘いの電話が掛かってきたのには、ちょっとびっくりしたけれど・・。

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2007年5月 3日 (木)

グリーンゲイブルズ

子供の頃の愛読書の中に、モンゴメリの「赤毛のアン」があった。子供時代というよりも、今でも何かで疲れてほっと一息つきたい時など、古いお気に入りの文庫本を出してきて、しばしアンの世界に紛れ込む。

ふた昔以上も前だが、同年代の知人に「赤毛のアン」は大人の隠れ読者が意外に多いのだ、という話を聞いた。退職した夫婦が、カナダのはずれにあるプリンスエドワード島を一緒に訪れるという、微笑ましい話も時折聞くという。島をいつか訪れてみたい、という楽しみが私の中にも生まれた。

幸運にもその機会は、比較的早くやってきた。カナダに家族で一年間住んだ事があり、その頃10歳位だった娘と、帰国までには皆で舞台となった島に行ってみようという、無言の約束が出来上がったのだ。

住んでいたオタワでは、島の名前の、Prince Edward Island を省略して、P.E.I. と呼んでいた。スーパーでP.E.I 産のジャガイモをよく見かけて、何となく親近感を持った。

カナダの知り合達に、島へ行った事があるかどうか尋ねると、「ああ、日本人に人気のある小説の舞台ね。私は読んでないけど・・。」と、大人達は余り関心がない。

ところが我が家の子供達が通っていた、小学校と中学校の続いた公立学校で、生徒達が「赤毛のアン」のミュージカルをするという。「グリーンゲイブルズのアン」というのが原題だそうで、教えてもらわないと私達の「アン」には結びつかない。それにしても、「赤毛のアン」という翻訳のイマジネーションは本当に素晴らしい。日本での人気には、題名が多大に貢献しているのではないだろうか・・。

生徒達が演じたお芝居、とも思われない位にとても楽しい舞台を堪能して、少女小説には無縁の息子にも下準備を与えたところで、私達は車に乗って州をいくつも通り越し、最後にはカーフェリーで島に渡った。(因みに、現在は本土からの橋が出来たらしい・・)

P.E.I. に着いてまず驚いたのは、土の色が殆ど赤茶色で、その為かあたりが一面に明るい事だった。とくに海岸の岸壁などは、青い海との対比が素晴らしく、言語に尽くせぬほど美しい。島で産出されるジャガイモに、いつも赤い土が付いていたが、成る程と思った。

小説は10巻にも及ぶ長いものだが、度々話題になる髪の毛の色に比べて、土が赤い事を強調している表現は、少なかった様に思う。島で生まれ育った作者のモンゴメリにとってみたら、島が美しいという描写は至るところに登場させても、土の色に関してはごく当り前の事に過ぎなかったのだろうか・・・。

作者の親戚の家で、アンの家のモデルになった、「グリーンゲイブルズ」(緑の切り妻屋根の家という意味らしい)が、森の入り口に建っていた。ちょっと懐かしい感覚だった。

ストーブと呼ばれる昔のオーブンが、いかにもマリラの愛用キッチンという佇まいで置いてあったり、窓から林檎の木が見えるアンの部屋には、筒袖の洋服が架かっていたり、娘と一緒に物語を思い出しながら、楽しい時間を過ごした。傍らの芝生で待ちくたびれていた、主人と息子に感謝しながら・・・。

小説の舞台となったキャヴェンディッシュは、「アヴォンリー」という架空の名前に置きかえられていたが、たびたび現れた「シャーロットタウン」や「サマーサイド」と言う名が、実在する町である事にも、わくわくした。

州都のシャーロットタウンでは、「赤毛のアン」のミュージカルも観た。夏休みの間だけ上演されているそうだ。期間限定役者さんたちのお芝居は、立派な劇場で上演されていたけれど、個人的には子供の通う学校の、音楽堂で観たドタバタ劇の方が楽しかったなあ・・。

ここで食べたアイスクリームはコーンの代わりに、出来立てのワッフルに包まれていて、実に美味しかった。急いで食べなければ、溶けてしまいそうだったけど・・。

夕食には大きな吹き抜けのログハウス・レストランへ行った。随分長い列が見えたので、きっと人気があるのだろうと、楽しみにして最後尾に並んだ。

今獲れたばかりという、島名産の特大のロブスター・・・!ボイルしたものに、ガーリックバターをかけるだけだったが、その味の記憶は未だに忘れがたい。サラダバーには、ムール貝のワイン蒸しが山積みされていた。

一日中、退屈そうに付き合ってくれた9歳の息子は、「大人になって恋人ができたら、又ここに来るんだ。」と、つぶやいていた。

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