演奏会

2007年11月29日 (木)

「はじまり」の鼓動

還暦を迎えて、初めてのリサイタルであった。何か不思議な感じ、今までとは違う感覚があった様に思う。単純に年齢のせい、なのだろうけれど・・。

次は無いかも知れない、という漠然とした感覚といえばよいだろうか。特にゆっくりした曲等、気障な言い方をすれば、聴いていてくださる方々に、お別れの挨拶をしている気持ちが、どこかにあった気がする。

それは、10日程前にリハーサルをした時、初めて認識した感覚だった。そして、弾いている印象としては、何かしらお客様と気持ちの繋がりがある様でもあり、決して悪い感覚ではなかったのだ。

還暦という、年齢相応の演奏会だった、と言うべきだろうか。そして更に、私なりの、と付け加えるのを、忘れてはいけないし・・。

今回は、新しいヤマハのピアノを使用してみた。できたばかりのホールで、付帯されている二台のピアノは、スタインウエイにしろヤマハにしろ、使い熟れた状態には現在まだ程遠いこともあった。そして、この年になってくると自分自身も、西洋志向から地元へと視点が変わってくるのかも知れない。

一般的には、ホールで弾くピアノはスタインウエイが多いし、普段も練習用に使用しているNYスタインウエイに慣れているせいもあって、リハーサルで初めて音を出したときには、やや音色に対して違和感があった。

それは、単なる好みの問題だったのかも知れないが、和音で微妙な響きの違いを出す重要な音域の音色が、私には平坦で軽過ぎて、どうしても気になってしまった。

本番の数時間前に、調律師のW氏が、一緒にコンディションの調子をチェックしていてくれていたので、音色がそんなに短時間に変えられるものかどうか、危惧の念を持ちながらも、「何とかならないものかしら・・」とお願いしてみたのだ。

「15分位、お時間を戴ければ・・」という答えと共に、調整を始めたW氏には、はっきりとしたイメージがあったのだろう。3本の弦の調性を微妙に変化させたのだ、と後で説明があったけれど。

実際に聴いていらしたお客様達が、私の感じた様な音色の美しさを、味わってくださったどうかは、分からない。それは、私自身の出す音色の問題にもなってくる訳だから・・。

でも、新しいホールの響きと共に、実に弾いていてい気持ちの良い音色が、自分自身には聴こえてきたのだった。

そして、それは還暦から始まる、新しい自分への鼓動だったら、こんなに素晴らしい事はないのだけれど・・。

| | コメント (0)

2007年11月23日 (金)

音楽仲間の友人に、私のバッハの演奏を聴いてもらった時、その人はこう言った。

バッハの曲は、キリストを尊敬していたというのが基本だと思う。バッハは多分、自分の人生は理不尽だと思っていただろうけれど、キリストの抱えた理不尽こそが、バッハの支えになっていたのではないかしら・・・。

私には、キリストを尊敬するという表現が新鮮だったけれど・・。

二週間程前、私はピアノリサイタルでバッハのパルティータを弾いた。シューマンの「謝肉祭」ショパンの「24のプレリュード」と続けて、アンコールにはバッハの平均率1番のプレリュードを弾いた。

グノーが、旋律をつけて「アヴェ・マリア」を作曲した、有名な曲である。演奏会の数日前に、この曲を弾く事にした時、私は教会のイメージで弾ければ、と思った。

まず思い浮かんだのは、数年前に訪れたポルトガルの漁村ナザレ。ケーブルカーで上って行った、奇跡があったと伝えられる、丘の上に建つ人里離れた教会。

そして、次に思い浮かんだのは、30年前に北イタリアのボルツァーノで開催された、ブゾーニ・国際コンlクールに私が参加している最中、東京の留守宅で父が急逝した、その時の情景だった。

あの時私は、長い間川岸のベンチにすわって、道行く人々を眺めていた。そして、私の中で父を忘れ去らない限り、私の中の父は生き続けているのだ、と自分自身に言い聞かせていた。

人生に別れはつきものなのだ。還暦を目の前にして逝った父とは、早すぎる別れではあるけれど、遅かれ早かれ別れとは、やってくるものなのだ・・。

バッハのプレリュードをを弾きながら、私は、一体父は今何処に居るのだろう、という理不尽な思いに捉えられた。

昨年リサイタルした時は、数ヶ月前に亡くなった親しい従妹の思いがずーっとあって、アンコールのショパンのノクターンは、彼女と会話している気持ちで弾いたのだった。

あの頃は、練習している時いつも、ピアノの側には彼女が居てくれる気分であった。

バッハを弾きながら、私は今まで父を悼んだ事があったのだろうか、とハタと思い巡らせた。異国でコンクールの最中に訃報聞いた時、私はあえて悲しみを直視せずに、周りの人々に迷惑をかけたりせず、取り乱したりせずに、とそのことに全勢力を傾けた様な気がする。

「実感がわかない、というのは残された者には、慰めにもなり救いである」という言葉にも甘えていた様に思う。

そして、それからずっと、現実を直視せず父の不在にもいつしか慣れて、今日まで来てしまった事に、今、突然気づいたのであった。

今回のバッハは、私が初めて亡き父に語りかけた悲しみの言葉だった様に思う。

| | コメント (0)