ボーデン湖

2007年7月 9日 (月)

ヴェリ・ウェスタン!

コンスタンツ滞在も終わりに近づいてくると、最初こそは、様々な国の人々との交流が新鮮だった私も、いくら片言といえども、英語での会話の毎日に、そろそろ疲労を感じ始めて来た。

私は、最後の日の小旅行には参加せず、1人でのんびりと街を歩き回る事にした。しばらく歩いていると、大きな楽器屋さんがあったので、誘われる様に中に入って行った。

たまたま一ヶ月後にリサイタルを控えていた私は、急に思いついて、練習ピアノはないだろうか、と尋ねてみた。

何でも、聞いてみるものである。隣に音楽学校があって、夏休み中だから使用できますよ、と早速ピアノのある小部屋に案内してくれたのだ。エアコンもないからか、親切に窓を開けてくれたので、私はいつもの様に深く考えずもせずに、2時間程練習を続けたのだが・・。

時間が来て帰り際、お店の人が「窓は開けたままですか・・?」と聞く。自分で開けてくれたのに、おかしな事を尋ねるな、とその時は思っただけだったが、若しかして回りから苦情があったのかも知れないと、歩き始めてハタと思い当たったのだ。

少ししょんぼりした気分で歩いていると、突然「○○さーん」と名前を呼ばれて、耳を疑った。勿論、声の主は、日本からいらしているK氏だった。余程私が、戸惑った表情をしたのだろうか。

「いや、私はランチの後、ちょっと散歩してるだけで、又すぐ会場に戻りますから・・」

全く・・・。歩く、恥のかき捨ておばさん、である。

翌日、最後の朝食の際、私はお世話になったS夫人やドイツの方々に、ちょっと頑張ってドイツ語でお礼を言った。英語もおぼつかない私だから、一同びっくりして、つかの間、時の人状態であった。

ずーっと昔、ウィーンでピアノの勉強をしていたものだから。でも、語学の方はおぼつかなくてと、弁解に大童であった。

「演奏会とか、なさるの?」と聞かれて、「実は、一ヶ月後にリサイタルを予定しているのでね。帰宅したら、それはもう大忙しなのです。」と答えると、1人が「まあ、素敵。どんなプログラムの演奏会?」と聞いてきた。

生来真面目な私は、問われるままに、「ベートーヴェンとスクリャービンのソナタを弾いて、休憩をはさみ、後半にはシューマンの作品を二曲。」と説明をした。

すると、お嬢さんのご主人が指揮者のカラヤンの秘書(だったかな・・?)をしているという、音楽通の1人が言った。

「オー。ヴェリ・ウエスタン!」

私にとっては、実に目から鱗の言葉であった。

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2007年7月 4日 (水)

メーアスブルグ

コンスタンツから、対岸にあるメーアスブルグへ行くには、30分位船に乗っただろうか・・・。夏も終わりに近かったが、湖の辺は涼しい風が吹いていて、坂道の多いメーアスブルグの街を歩くには、最適な陽気であった。

街を少し行くと銀行があって、「ホテルで換金するより、ここの方がお得です・・」とS夫人の案内がある。まだユーロが導入される以前であった。

小さな街であったが、歴史的な名所がたくさんあり、新しい場所としても、有名らしい女流詩人の住んでいた館であるとか、ツェッペリンの小さな博物館もあった様に思う。

ニューヨーク生まれという、唯一の同胞であるK夫人と共に、夫人達の名簿を片手にしながら、お仲間の人々とおしゃべりを続ける。あとで「オランダからいらしてた、と言ってたから、この方ね」等と、復習しながら・・。

欧米の人々は、相手の名前をしっかり憶えて、会話の中でさり気なく口にするのだ。

メンバーが中高年の人達だったからか、ランチにワインという雰囲気がまるでなかったのには、ちょっとびっくり。顔ぶれによるのだろうが、大体注文しているのはお水であった。いささかカルチャーショックではあった。

S夫人が、各テーブルをまわりながら、雑談風にメニューの説明をしてくれる。「どうして、そんなに詳しいのですか?」と尋ねてみたら、「I was born on the lake 」と言っていた。美しい夫人の少女時代が目に見える様だった。

「午後からは、自由行動にします。3時に時計塔の下 で待ち合わせましょう。」 古くからのメンバーであるK夫人は知人も多いので、私はいつもの様に1人でお店等を覗いてみたりした。小さな街だから、何処に入っても顔見知りの人に出会うのだが・・。

時計搭に集まった頃には、色の白い欧米の人達は真っ赤に日焼けしている人も多い。美しい宮殿に案内してくれたS夫人から、「この中には美術館もあるのだけど、皆で行くのはちょっとハードスケジュールだから、行きたい方だけ個人的にどうぞ・・。」と案内がある。

私が最年少かとも思われる奥方達の集団だから、当然「どこかに座りたいわね。」と道端にあるオープンカフェに向かう。「良い日光浴だわ・・。」と言いながら好んで陽のさす場所を探す様子が、私には新鮮である。

メニューを見て、ドイツやスイスの人に尋ねながら注文しているお仲間に続いて、私がスラスラとメニューを読みながら注文したら、皆が驚いて拍手してくれた。昔、ウィーンに住んでいたとは、とても言い出せなくなってしまった。

何となくおしゃべりしているうちに、「そろそろ、行きましょうか・・。」という声がかかり、皆に付いて歩いていくと、そこには仕事を終えたご主人たちがぞろぞろとやってきたのだ。

大勢が連れ立って近くのワイナリーへ行き、色々な説明を聞いた。殆ど分からなかった私が、退屈そうに見えたのだろうか。「日本にも輸出していますよ。」と、わざわざ話かけてくれた気遣いは、ちょっと嬉しかった。

試飲もさせてくれたが、木の長いテーブルを囲んですわり、たくさんのグラスに色々なワインを注いでくれて、それはもう、早くもワインパーティーの様相だった。

ドイツにしては珍しく、赤ワインがたくさん出てきた。前にすわっていたフランスの夫人は、ちょっと口に合わないといった表情に見えたけれど・・。

帰りがけに私は、以前から探していた栓抜きを見つけ、嬉しくなって買い求めた。今でもそれを愛用しているのだが、使う度に、買い物をして居る間、皆さんをお待たせしてしまったなあ、とドジな自分を思い出してしまう・・。

湖岸に着くと、船が私達を待っていて、その晩は船上ディナーであったのだ。アメリカ風の明るいバンドの生演奏が続いて、お食事が終わると、先ずS夫妻が音楽に合わせてダンスを始めた。

次にS氏は、会長の夫人に手を差し伸べた。優しそうなフランスのおばあちゃま、といった様子の夫人は、先ほどジーンズショップで見かけた時に、試着していた洋服を身につけて、若々しいいでたちで立ち上がった。

次にS氏はアメリカから来ている若いお嬢さんを誘い、その頃には、他の人達も次々と踊り始めた。同じテーブルにいらしたK氏が、「日本にも、ああいう”おっさん”が、1人居るとなあ・・」とつぶやいてるのが聞こえた。日本大会誘致に、努力していらした頃だったのだ。

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2007年7月 3日 (火)

ツェッペリン

10年位前に、ドイツのボーデン湖のほとり、コンスタンツを訪れた事がある。泊まったホテルは、ツェッペリンが生まれたという古い建物であった。因みに、英語でZeppelin というと、 硬式飛行船を考案したドイツのツェッペリン伯爵の名前であると同時に、飛行船その物も指すらしい。

ボーデン湖は、ドイツ・オーストリア・スイスの国境にある大きな湖で、コンスタンツはスイスに隣接したドイツの小さな町である。主人と私は、最寄の国際空港があるチューリッヒから、鉄道とバスで当地に着いたのだが、そこには駅の改札口の様な場所があるだけで、入国審査はいとも簡略そうな様子であった。

ところが、私達のパスポートを広げて、丹念に色々なページをめくって眺めている係官の様子は、どう見ても好奇心としか思えない。そのうち、回りには他の係官まで集まってきて、我々の入国には、結構時間がかかったのだけれど・・・。静かな街に、その経路から入国する日本人はきっと珍しかったのだろう。

湖岸からは短い橋を渡って行く、小さな島の敷地全体が、私達の宿泊した「シュタイゲンベルガー・アイランドホテル」であった。

その建物はまるでお城の要塞の様だったし、湖を望む景観の素晴らしさは、さながら映画のワン・シーンを見る気分であった。

説明は一切なかったが、ここで生まれたというツェッペリン伯爵と、この豪壮な館との間には、どの様な関係があったのだろう・・・。天井の高くてどっしりした回廊の、壁に描かれた古いフレスコ画の中には、ドイツの皇帝が訪れた際の式典を描いた絵もあった。

そこで開催された会議に集まった、20名程の出席者達は、夫人同伴が慣例で、その年が最初の参加であった私も、様々な国の方々に紹介された。

そして、期間中は同伴者達の親睦のために、軽い小旅行が計画されていて、その際の、ホステス役だったS夫人のさりげない気遣いは、これがヨーロッパの社会なのかと強く心に残った。

着いた夜の歓迎レセプションが終わると、「明日の小旅行に参加したい方は、明朝ロビーに10時頃に集まってください」という知らせが入った。翌日頃合の時間になると、集まった人数だけを確認して、船の乗り場へ、思い思いの相手と連れ立って歩いて行く。お陰で私は、自己紹介の英語だけは、場数が踏めたと思う。

最初の日は、コンスタンツの対岸にあるメーアスブルグへ船で向かった。記憶によれば、12世紀頃に建てられた教会や古い街並みが残る、観光の名所であった。階段状の細い坂道の両脇に、小さなお店が並んでいる佇まいは、宮崎駿のアニメ映画を思い出す様な風景だった。

それが、久々のヨーロッパ滞在だった事もあったろうが、コンスタンツは私にとって、ちょっと現実離れした高揚感を感じながら過ごす、非日常的な毎日の舞台だったのだ。

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