ソレント

2007年6月19日 (火)

満月のナポリ

ナポリは掏りが多いし危ないから、できれば行かない方が良い、とソレントで出会った人々が口を揃えて言う。しかし、ソレントからの帰途、午前中まで仕事が残っていた主人の都合で、私達はナポリに一泊してそれからローマに戻る予定をたてていた。

電車を降りて駅前の道にでると、そこには確かに国際都市とも思えない、地面に商品を広げた様々な人種の出稼ぎ風の人々が、処狭しとひしめいて居た。

質素な身なりの夫婦連れには誰も注意を払わない、というのがナポリで得た教訓である。

地味な色合いのウィンドブレーカーを羽織って街へ出た私達は、魚市場で目の飛び出た珍しい魚を眺めたり、ナポリ大学をうろついてみたリ、仕事帰りらしい街の人に混じってフニクラに乗ったりしたが、誰も私達には目もくれない。

少し時間が遅かったが、ランチを取ろうと入ったレストランでは、当然のごとくワインが出てくる。一応、「大か、小か」、と聞かれたので、適当に身振りと共に「ピッコロ、ピッコロ」と言ってみたが、そこでの「小」とはハーフボトル!私は、すっかりナポリが気に入ってしまった。

危険だと言って、日本旅行客が行くのを避けている為だろうか。お店のおじさんは、美味しいピザを出してくれた上に、「日本から来たのかい?」と言って、殆どお昼休みに入っているらしい気配のお店で、石釜にピザを入れる様子を私にやらせてくれて、主人にシャッターチャンスを与えてくれた。

若い頃一度一人で訪れた事のある、ナポリの海岸沿いにある散歩道や、卵城にも行ってみた。当てもなく歩いていると、次第に日が暮れて来て、そこからは、方向的にヴェスヴィアス火山が、頂上に少し窪みのあるエム字型となって、その巨大な姿を見せていた。

そして、暫くするとその窪んだ場所の真ん中から、濃いオレンジ色の大きな満月が少しずつ顔を出してきたのであった。

泊まっていたホテルは、駅の直ぐ側だったので、半日歩き回って疲れ果てた私達は「ナポリ駅」と書いたトラムに乗って戻る事にした。運転手さんに、「ナポリ・ステーション?」などと身振りで確かめて安心した私は、調度よく空いた座席に腰を降ろした。

程なく私は、肩をそっとたたく主人にハッとなった。「次くらいが、駅だよ・・」

何と私は、危険で名高いナポリの路面電車で、ぐっすり眠りこけていたのだった。

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2007年6月18日 (月)

カプリの小学校

ソレント地方はレモンの名産地で、あたり一帯にレモンの香りが漂っていた。ディナーパーティーで初めて出会った、レモンチェーロの味は忘れられない。

レモンの皮を数週間お砂糖に漬け込んで、ジンか何かと混ぜ合わせる、アルコール度の高い食後酒で、それぞれの家庭に独特な味があるそうだ。帰国時、瓶詰めのものを自分用のお土産として買ってきたが、残念ながら当地で味わった物とは似て非なるもの、という感じだった・・・。

ソレント滞在中のある日、私は一人でカプリ島へ足を延ばした。ホテルで、島へ渡る船の時間と出航場所教えて貰って、トコトコと海岸まで下って行った。港町の多くがそうなのかもしれないが、ソレントもホテル等がある風光明媚な高台から、文字通りダウンタウンへは、かなりの高低差があった。

イタリア語は音楽用語位しか分からないので、辛うじて「青の洞窟」の名前だけ覚えて、取り合えずカプリ島へ向かって出発した。

島に着くと、客引きの様な人が「島一周のボートに乗るならば、直ぐ出発しますよ」と身振り手振りでせきたてる。一応「青の洞窟」は行くか、とこちらも身振りで尋ねると「シー、シー」と請合うので、急いでチケットを買い、乗船した。

ドイツ人の団体が一緒で、親しみのある言葉が何となく心強い。甲板の椅子の上で、風に吹かれて心地よく座っていたところ、やおらアナウンスがあって、イタリア語だから当然分からずに居ると、周りから大きなため息が聞こえてくる。

隣に座っていたドイツ人に聞いてみたら、「青の洞窟」には入れないのだという。天候が理由なのだそうだ。確かに、乗船前の説明は嘘ではないな、と自虐的に考える。中まで入れるか、とは聞かなかったもんな・・・。

島に戻ると、ケーブルカーの前は凄い行列である。「フニクラ」というのがケーブルカーの事で、これに乗って高台にある観光の名所へ行くらしい。先ずは、インフォメーションへ行ってみる。真っ先に行くべき場所ではあった。

数人待って私の番が来ると、私が口を開く前に係りのおばさんが、「青のドークツ,閉まってる!」と日本語でいう。

尋ねられる事は決まってるのだろうが、意表を衝かれた私は思わず「Why?」と聞き返してしまった。「波がたかーい!」とこれも、日本語であった。

フニクラに乗って島の高地へ行くと、第一の街・カプリタウンがあり、第二の街・アナカプリへはバスが通っている、と地図をくれた。

「アナカプリの丘」という有名なドビュッシーの前奏曲があって、街の名の響きには惹かれたが、言葉の通じない場所での一人旅は、歩ける範囲に抑えた方が良い。

カプリタウンは、岩盤の山の上に出来た様な町だった。教会前の広場には、お土産屋さんもあって、観光客がたむろしていたが、そこを外れると全く静かな一本道だ。

道に沿って歩いているみると、小学校があった。観光地で、突然生活の場に遭遇した様なちょっとした驚き。

以前、八丈島に泊まった際、荒々しい海の絶景に見とれていた私達に、宿のおばさんが「八丈は、海しかなくて・・。若者たちは皆、島から出ることばかり考えていますよ」と言っていたのを思い出した。

山の頂上の様な街からは、見下ろせば至る処に断崖絶壁の美しい地中海が臨めて、一人で歩いていても飽きる事はなかった。

カプリタウンに住むあの小学校の子供達も、やがては、この絶景の島から出る事を考える様になるのだろうか・・・。天使の様に美しい小学生たちをぼんやりと思い浮かべながら、私は、一人島に取り残されては大変とばかりに、ソレント行きの最終船に乗り込んだのだった。

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カーサケーロ

昔、「ポンペイ最後の日」という映画があった。内容は何も憶えていないながら、画面の印象ははっきり思い起こす事ができるので、多分予告編でも見たのだろう。ヴェスヴィアス火山の噴火で、灰の下に埋もれしまった街の話は、子供心にも結構ショックであった。

数年前、主人の仕事の関係で、イタリアのソレントに1週間程滞在した。ホテルの窓からは、ナポリ湾をはさんで、はるか遠くにヴェスヴィアス火山が見えた。本当にあるんだな、というのが正直な気持ちだった。

ある日、主人が午後の出番は無いというので、一緒に電車に乗ってポンペイまで出かけてみた。イタリアは国土が狭いという先入観があるせいか、思いのほかポンペイの遺跡は広い印象を受けた。

火山灰の下に1700年以上も眠リ続けていた街並みは、そのまま静かに西暦79年の面影を目の前にみせてくれる。天井こそ破壊されているものの、床のタイルのモザイク模様が綺麗に残っている家もあった。はっきりと、犬の絵が残っているのも見えた。

多分、何処かに記録が残っていたのだろう。医者の家だとか、だれそれの家という説明があって、「カーサミーロ」とか「カーサ某」と、イタリア語で「家」という意味らしい、カーサという名前がいたるところについていた。

寒い日であった。夕闇も迫り人々の数もまばらになってきたが、それでも猶、再び訪れることはないだろう、と飽きもせずに身を乗り出して中を見続ける私の横で、黙って付いて来た主人が言った。

「カーサn、ケーロ!」

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