バッハ

2008年7月15日 (火)

グレン・グールド

先日、学生がバッハを弾いていたときに、「グレン・グールドのレコードを初めて聴いた時は、衝撃的だった・・」という、思い出話をした。

すると、「グレン・グールドが顕れる前は、学生達は誰が録音したバッハをよく聴いていたのですか?」と聞かれた。

エドヴィン・フィッシャーかな、と私は答えたのだが。

それから、グレン・グールドの話になって「彼の、ゴールドベルグの録音は、最初と二度目では倍位テンポが違うそうですね・・」とその男子学生は言っていた。

演奏時間が一時間近くもかかる曲を、倍のテンポでというのは大げさだろう、と思ったけれど、とにかく聞き比べをしてみたくなって、先週池袋のHMVへ出かけて行った。

一枚は、55年にモノラール録音をした、あの鮮烈なデビュー盤。

そして、彼が亡くなる少し前に再度録音したステレオ盤。これは、DVDも見つけたので、映像の方を選んで購入した。

実のところ、私はグレン・グールドのバッハが異端だとは思わない。

テンポが極度に速かったり遅かったりはするけれど、聴いていて説得力があるので違和感は覚えないのだ。

一度目の録音と二度目で大きく差があったのは、アリアを最後に再び登場させるところだ。

曲を終える前のアリアは確かに、倍位の時間をかけて演奏している。

あの穏やかで、全てが終わった後といったアリアの静けさは、年齢を経たピアニストの演奏、ならではなのかもしれない。

まだ、両者を検証するところまでは聴きこんではいないのだが、これから少し時間をかけて比較してみようと思う。

何はともあれ、彼のクリヤなタッチはちょっと忘れがたい響きである。

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2008年5月31日 (土)

バッハのサラバンド

バッハの緩徐楽章を弾いていて、いつも迷うのはテンポである。

勿論ロマン派の作品の様にテンポを揺らす訳ではないのだが、人間の感受性は時代を超えて、そう大きく変化するとも思えない。

バッハの組曲に必ず出てくる「サラバンド」は、叙情性豊かな緩やかなテンポの舞曲である。

表現する時点で、どの様にテンポをバランスよく感じていくか・・。

その点本番は、一回勝負であるだけに「弾いたもの勝ち」の気楽な面も否めない訳で。

そんなノリで聴いて戴けましたら幸いです・・・ 。

バッハ・パルティータ第Ⅰ番より「サラバンド」

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2008年5月13日 (火)

昨年のブログに関連して。

音源をアップする事が出来る様になった記念に、昨年書いたブログに関連する曲を、アンコールで弾いた演奏で、貼り付けてみます。

バッハ作曲・平均律第1番プレリュード

「父」

二週間程前、私はピアノリサイタルでバッハのパルティータを弾いた。シューマンの「謝肉祭」ショパンの「24のプレリュード」と続けて、アンコールにはバッハの平均率1番のプレリュードを弾いた。

グノーが、旋律をつけて「アヴェ・マリア」を作曲した、有名な曲である。演奏会の数日前に、この曲を弾く事にした時、私は教会のイメージで弾ければ、と思った。

まず思い浮かんだのは、数年前に訪れたポルトガルの漁村ナザレ。ケーブルカーで上って行った、奇跡があったと伝えられる、丘の上に建つ人里離れた教会。

そして、次に思い浮かんだのは、30年前に北イタリアのボルツァーノで開催された、ブゾーニ・国際コンlクールに私が参加している最中、東京の留守宅で父が急逝した、その時の情景だった。

あの時私は、長い間川岸のベンチにすわって、道行く人々を眺めていた。そして、私の中で父を忘れ去らない限り、私の中の父は生き続けているのだ、と自分自身に言い聞かせていた。

人生に別れはつきものなのだ。還暦を目の前にして逝った父とは、早すぎる別れではあるけれど、遅かれ早かれ別れとは、やってくるものなのだ・・。

バッハのプレリュードをを弾きながら、私は、一体父は今何処に居るのだろう、という理不尽な思いに捉えられた。

昨年リサイタルした時は、数ヶ月前に亡くなった親しい従妹の思いがずーっとあって、アンコールのショパンのノクターンは、彼女と会話している気持ちで弾いたのだった。

あの頃は、練習している時いつも、ピアノの側には彼女が居てくれる気分であった。

バッハを弾きながら、私は今まで父を悼んだ事があったのだろうか、とハタと思い巡らせた。異国でコンクールの最中に訃報聞いた時、私はあえて悲しみを直視せずに、周りの人々に迷惑をかけたりせず、取り乱したりせずに、とそのことに全勢力を傾けた様な気がする。

「実感がわかない、というのは残された者には、慰めにもなり救いである」という言葉にも甘えていた様に思う。

そして、それからずっと、現実を直視せず父の不在にもいつしか慣れて、今日まで来てしまった事に、今、突然気づいたのであった。

今回のバッハは、私が初めて亡き父に語りかけた悲しみの言葉だった様に思う。

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2008年5月12日 (月)

前奏曲

連休中、娘が暫く我が家に滞在していたので、ネット関連で、色々教えて貰った。

まず、パソコンを新しくした事もあり、音源をブログにアップする方法をマニュアル化。「演奏ブログ」も復活できそうで、還暦の道楽がいよいよ佳境に入ってきた。

今回は、昨年のリサイタルで最初に弾いた、バッハ・パルティータⅠ番から「前奏曲」を試しにアップしてみます。

ライブなので多少の傷がありますが、久々という事でお聴き頂ければ嬉しく思います。

 

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2007年12月17日 (月)

シャコンヌ

先週、勤務している音大で卒業試験があった。次々と演奏される曲の中に、バッハ=ブゾーニの「シャコンヌ」があって、遠い昔の自分の学生時代の思い出が浮かんできた。

大学時代の仲間で、非常に強く印象に残っているヴァイオリンの友人がいる。とにかく凄い練習量なのだ。

通常、ピアノ以外の音楽学生達は、ピアノ伴奏者と共に担任の先生のレッスンを受けに行く。だから、ピアノ科の学生達は、色々な友人達に伴奏を頼まれる事になる。

そして私たちは、彼らに付いて行って、他の科の先生達のレッスンを受けるという、素晴らしいチャンスに恵まれた、という訳だ。まあ、その為の練習も、なかなか大変ではあったのだけれど、どれだけ貴重な勉強をさせて貰ったか、計り知れない。

私はそのヴァイオリンの友人と共に、毎週U先生のレッスンに参加していたのだが、彼女は、週一回のレッスンで見て貰う曲だけでは、とても足りないとばかりに、様々な曲を一人で勉強していた様子だった。

休み中等は私も相手を頼まれて、お蔭でベートーヴェンやフランクのソナタ等の名曲を、我流ながら二人で一生懸命練習したものだった。

その上更に、彼女は一人でも練習を続けていて、その中の一曲が、バッハの無伴奏パルティータ第2番の終曲「シャコンヌ」だった。

それまで、余り身近ではなかった弦の響きを、近くで聴けるだけでもわくわくしていた私は、ある時、目の前で友達が弾いてくれた「シャコンヌ」の格調の高さに、すっかり傾倒してしまった。

グリュミオのレコードを買ってきて、毎日の様に聴いていた。ジャケットの中に入っていた、ヴァイオリンの楽譜を見ながら、ピアノで弾いてみたりもした。

その頃、ゲルバーというアルゼンチンのピアニストが来日して、ブゾーニの編曲したピアノソロの「シャコンヌ」を弾くのを聴いた。そうか、あの曲を自分でも弾く事ができるのだ、という発見!

頭の中で鳴っている、ゲルバーのあの音を自分でも出したい。手が余り大きくはない私にとって、ブゾーニの編曲したピアノソロは、決して簡単な曲ではないのだけれど、あれは私が、初めて夢中になって練習した曲だった気がする。

数年後に、イタリアのボルツァーノで開催されたブゾーニ国際コンクールに参加した際にも、ブゾーニの作品として、私は勿論この曲を選んだのだ。

そして、コンクールで「シャコンヌ」を弾く日、たまたま東京の自宅に電話すると、出てきた祖母の余りにも異常な対応の様子から、私は多分父が亡くなったのだろう、と察してしまったのだ。

今でも、その時の感覚を、はっきりと思い出す事ができる。

最近右手を怪我した学生が、ブラームスの編曲した「左手の為のシャコンヌ」を持ってきて、又シャコンヌとの付き合いが始まった。

ネットで探した、色々な作曲家達が編曲した「シャコンヌ」を、数曲集めたCDがある。現代作曲家の編曲したそれ等は、相当自由に原曲から離れていて、それなりの味わいがある。

それぞれの曲を聴いていると、編曲した作曲家達の、バッハの「シャコンヌ」に対する解釈や思い入れがわかって、興味は尽きないけれど、ピアノ曲としてはやはりブゾーニ編が圧倒的に面白い。

還暦を迎えた「シャコンヌ」も、又楽しいかしら・・・。

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2007年6月 5日 (火)

真夜中のリヒテル

リヒテルの偉大さを語るエピソードは色々聞くが、これは昔、恩師のD教授が話していらした、音楽祭での思い出話。

先生とリヒテルを交えて何人かで立ち話をしている処に、ドイツの巨匠、バックハウスの夫人がやって来た。

「主人は今晩、演奏会でピアノコンチェルトを弾くことになっているのですが、余り体の調子がよくないのです。若し快復しなかったら、リヒテルさん、替わってくださいますか?」

「良いですとも・・・」という返事を聞いて、安心して遠ざかる夫人の後姿を眺めながら、リヒテルが回りに尋ねた。「ところで、バックハウスは今晩、どのコンチェルトを弾く予定だったかな?」

私が、初めてリヒテルのレコードを聴いたのは、ラフマニノフのピアノコンチェルトの2番。繰り返し聴いていたのは、中学生の頃だった。

すっかり古ぼけたレコードはいつの頃か所在不明になったが、最近同じ録音のCDを見つけたので、懐かしくなって買ってきた。数十年ぶりに聴いた彼の演奏だったが、細かいニュアンスやテンポの揺れ等、意外によく覚えていて我れながらびっくりした。子供の頃の記憶力の底の深さであろう。

あの、スケールの大きい世界観は、ロシアのピアニストだからなのか。感情におぼれる事はないのだが、スラブ気質のおおらかな歌心に私はのめり込んだものだった。

大学生だった頃、「幻のピアニスト」と言われた彼が初めて来日した。飛行機が嫌いとかで、船と鉄道でやってきた。

私も、日比谷公会堂のリサイタルには出かけたのだが、残念ながらその時の記憶はすっぽりと抜け落ちている。

その少し後に、私はウィーンに留学したが、そこでバッハの平均率第2巻を全曲演奏した彼のリサイタルを聴いた。

その後、色々な人の全曲演奏を聴いたけれど、私はリヒテルの演奏が最初の経験だった。

ピアノの世界でバッハの平均率といえば、ベートーヴェンの32曲のピアノソナタを、「新約聖書」に例える時、一方の「旧約聖書」の例として必ず挙げられる、必携の曲集である。

ピアノ学習者にとって、「難解な教則本」としての役割も担う、これら24曲の「前奏曲とフーガ」が、リヒテルの演奏では、まるで教会音楽の様に、神聖で壮大、かつ極めて美しい響きとなって聴こえてきた感動は忘れられない。

平均率に対する視線が、根本から変化してしまった、と言えば良いのだろうか。だから理解した、という単純な事では無いのだが、「難解な教則本」から、魅力を解き明かしていきたいという曲集に存在が変わった事は確かであった。

リヒテルの演奏で好きな演奏を思い浮かべようと思っても、レパートリーの広い彼の事だし、これは、と思って買い求めたものが殆どだから、私の持っているCDを数えあげる事になってしまいそうだ。

その理由の一つに、彼の音色が挙げられる。聴き始めると、まずその音色に惹き込まれてしまうのだ。ふくよかで、粒の大きな、充実した響き。そして、しっかりと大地に根を下ろした様な、ゆったりとしたテンポ感。

ウィーンに住んでいた頃、町の中心街にあるアパートに引越しをした事があった。運送屋さんが来る前日、お掃除がてら小さな品々を自分で運んだ、その帰り途のこと。

すっかり夜も更けてしまったけれど、治安の良いウィーンの街の商店街に沿って、ショーウィンドウの中の灯りが並ぶ、旧市街の静かな道を歩いていると、前方に、大きな体格の男性がゆったりと歩いている姿が目に入った。

ちらっと振り向いた横顔は、どう見てもリヒテルである。私は、彼の歩調に合わせて、ゆっくりとその後から歩いてみる事にした。

暫く行くと、赤信号で立ち止まった彼に追いついてしまい、並んで信号を待つ羽目になってしまった。二度と無いチャンスだ、と若かった私は自分に言い聞かせた。

「失礼ですけれど。ピアニストの方ではありませんか?」

「はい、そうです。」大きな体を、私のほうにかがみこむ様にして、ゆっくりと答えてくれた。

「リヒテルさん、ですか?」[そうです。・・・?」

「最近ここで、演奏会をするご予定はありますか?」「いいえ、ありませんが・・・?」

穏やかに、そしてちょっと怪訝そうに相手をしてくれる、その優しそうな様子を見て、私は、一人でゆっくり散歩を楽しんでいるらしい彼の邪魔をするのは、諦めようと思った。

それに、どんな言葉を続ければ良いかもわからなかったし・・。気難しい事で有名だったリヒテルである。

「いえ、ちょっとお伺いしたかっただけです・・・。どうも有難うございました。」

最後に握手をした。暖かくて、大きな大きな手であった。

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