ラヴェル

2008年4月 1日 (火)

マ・メール・ロワ

先日原宿で、友人の、ピアノデュオのコンサートがあった。

モーツアルトのソナタから始まって、シューベルトの「人生の嵐」と続き、最後がラヴェルの「マ・メール・ロワ」

還暦を迎えた二人の演奏会は、会場全体が 落ち着いた上品さに包まれて、幕間にもてなされたワインと共に、文化の香りのする、文字通りの「サロンコンサート」であった。

個人的には、シューベルトが一番印象深かった。

最晩年に作曲されたこの曲を、「還暦記念」まで大切にしてきたという、お話の通り、お二人の積み重ねてきた人生が窺われる素晴らしい内容の演奏だった。

一方、ピアノの連弾曲としてみれば、私は「マ・メール・ロワ」を凌ぐ曲を知らない。

作曲家自身が編曲したオーケストラ・ヴァージョンも華麗で色彩豊かで素晴らしいけれど、やはりオリジナルの、素朴な音の中に描かれる、お伽の国の世界は「ラヴェルの天才に脱帽!」である。

最近、若い友人と戯れに時々弾いて楽しんでいるのだが、ピアノだけで、こんなにも様々な音色が湧き出てくるものなのか、合わせているといつも感動してしまう。

一人で、自分のパートを弾いている時には想像もつかない、1+1だった筈が、星空の天文学的数字と化してしまう、妙なる驚き・・。

第一曲目:「眠りの森の美女のパヴァーヌ」。

ちょっと悲しげに、静かな森が囁きかけてくると、遠くから美女の優しい声が聞える。

第二曲目:「おやゆび小僧」。

さわさわと森の木々が揺れる中を、おやゆび小僧が寂しくとぼとぼと歩いていく。静かな森は、小鳥たちの鳴く声だけが聞えて、寂しさをつのらせるし、帰りの目印に落としたパンくずは、小鳥たちについばまれてしまう始末だ。

第三曲目:「パゴダの女王レドロネット」。

パゴダとは、マイセン陶器の東洋風人形をさすらしい・・。この曲は、西洋人から見た東洋の世界であるが、私たちが聴いてもやはり異国情緒が感じられて、これは逆輸入の異国感覚かも知れない。

陶器の人形たちが踊りだす情景が思い浮かべられる、透明でカチャカチャした音形が、何とも優雅で可愛らしい。

第四曲目:「美女と野獣の対話」

淡々とした童話的なワルツの始まりからは想像もつかない結末。魔法にかけられた野獣が、謎に包まれた不気味な魅力を発揮しながら、美女の信頼と愛を勝ち得ていく、その流れの前衛的な響き!

第五曲目:「妖精の国」

長い序曲は、妖精の国への長い道のりの様にも感じられる。そして待った甲斐があった、と思わせる様なキラキラ輝く旋律は、オーケストラ版ではヴァイオリンのソロで、この上なく美しい世界をたっぷり聴かせる。

一方ピアノオリジナルでは、アルペジオで上っていく高音の連なりで、クリスタルの様な響きをちりばめていく。

この、二つの楽器の音色の違いを、心憎いばかりに際立たせている「ラヴェルの天才に脱帽!」である。

最後は、高音のグリッサンドが上下して、妖精たちが魔法の粉を振りまきながら、あたりを七色いっぱいに染め上げて曲は終わる。

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2007年4月20日 (金)

ピアノ協奏曲

ラヴェルのピアノ協奏曲は、まるで麻薬の様だ。何かきっかけがあると、繰り返し繰り返し聴き続けてしまうし、頭の中ではいつも、どこかの場所のメロディーが鳴り続ける。

ラヴェルはピアノとオーケストラの為に、二つの協奏曲を書いている。通称「両手」とも呼ばれるト長調の協奏曲と、戦争で右腕を失ったウィーンの高名なピアニスト、ヴィットゥゲンシュタインの委嘱によりほぼ同時期に作曲された「左手の為の協奏曲」。

ジャズの影響を強く受けている「左手」の方は、作曲していたラヴェルがさぞ楽しかったであろうと思われる閃きに満ちていて、楽譜を見ながら一人で弾いていても興味が尽きない。時の経つのを忘れてしまいそうだ。

近現代的な調性で広い音域の和音を、分散させた形にして、ペダルで響きを残したバスの上に(左手だけで!)バランスよく積み重ねてハーモニーにしていく。と同時に高音のメロディーは、太くて短い親指の豊かなタッチにより、異なった音色で浮かび上がらせる。どこか神業の様な音たちの連鎖だ。

そして左手だけのピアノが創りだす壮大な音響空間を、オーケストラの魔術師と云われたラヴェルが彩どっていく管弦楽の、手法の斬新さ。

いつ始まったのかも分からない様な、低い低い音程の弦の上に管楽器が少しずつ姿を現して、やがて劇的にピアノが登場する。長いピアノソロはあたかも左手で表現できる、可能性の限界をご披露しているかの様だ。

一方、鞭を打つ音から始まる「ト長調協奏曲」は、ピアノを打楽器的に扱った作品としても有名である。オーケストラの魔術師が、打楽器の様にピアノを扱った作品。それだけに、色彩感の絶妙な変化が姿を現して、本来のピアノの響きに落ち着く時、そのえも言われぬ美しさにハッとする。

二楽章はピアノのソロが続き、モノローグの様な静けさのひとときから始まる。打楽器的可能性から、生来のピアノが持つ表情豊かな響きに戻った緩徐楽章。ラヴェルの独壇場である。

ピアノソロとしての華やかさも失わずに、魔術師は様々な管楽器の音の変化の中に、ピアノの音色を融合させていく。そして、三楽章のリズムの鮮やかさは、まるでスポーツの様に爽快だ。

楽譜を見ながら冷静に聴いていると、フランスの往年のピアニスト、サンソン・フランソワとクリュイタンス指揮パリ音楽院管弦楽団の演奏は、リズムが少し与太っている様にも聴こえてくる。けれども、それが余りに粋で楽しげで、これこそが本物のラヴェルの世界なのだと納得してしまうのだ。

本来優れた演奏は、楽譜という記号からは遊離して、生き物の様に独自の世界を作り出すものなのだから・・・。

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2007年3月 1日 (木)

亡き王女のためのパヴァーヌ

東京から名古屋に移って三年。昨年は、新しい地元で初リサイタルを開きました。この「亡き王女のためのパヴァーヌ」は、休憩をはさんでプログラムの後半の、最初に弾いた曲です。

昔々、五歳になったばかりの娘に、私の友人が「うちのピアノの発表会に出てみない?」と声をかけてくれた事がありました。いたずら弾き専門だった娘の初舞台・・・。その時、母親の私が大胆にも思いついた曲が、ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」でした。子供が弾ける様に白い鍵盤だけのハ長調に替えて、伴奏パートは私が分担する連弾曲にアレンジして、恐れを知らない子供はこの美しい旋律を弾いたのでした。

私がワルター・ギーゼキングのレコードでこの曲を初めて聴いたのは、小学生の頃でした。繰り返し繰り返し聴いていた、近寄りがたい程に美しい曲。少ない音の進行で、ラヴェルの響きの美しさが、余すところ無く表現されています。

「亡き王女のためのパヴァーヌ」は、オーケストラの魔術士とも言われた作曲者ラヴェル自身によって、後にオーケストラ用に編曲されました。ゆったりとした美しいメロディをもつ小品で、題名は具体的な意味よりも言葉の響きで選ばれたと言われています。

リサイタル当日の演奏を、ブログ演奏の第Ⅰ弾としてアップしましたので、よろしければお聴きください。

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