ショパン

2008年3月17日 (月)

バラード第一番・ト短調

ショパンがこの曲を作曲したのは、20代前半であり、考えてみれば私は彼の母親の様な年齢なのだ。

ショパンの言葉が、とても親しみを感じて聞こえてくる様になったのは、私が年齢を重ねていったからだろうか。

不幸な祖国の歴史を背負い、遠く異郷で短い人生を終えた、「ピアノの詩人」が、いつの頃からか、久々に母親を訪ねて来て静かに語りかけてくれる、息子の様な存在に変化してきたのだった。

バックグラウンドが違う息子の言葉は、難しくてさっぱり意味がわからないわ、といった曲も多々あるのだけれど・・。

そこで、ト短調のバラード。

まず最初、両手のユニゾンで上っていくイントロは、「シューマンの”胡蝶”を聴いて、印象に残ったんじゃない?」と、問いかけてみたくなる。

「でも、底に流れる気持はベートーヴェンの熱情ソナタかな・・?」と、付け加えてもみたい。

短い前奏が、第一主題に入ってト短調に落ち着くと、彼は切ない気持を、様々な言葉で伝えてくる。もし私が若い女性ならば、それは愛のささやきに聞こえたかも知れない・・。

年齢を重ねるのは楽しい事だ。今の私は、当事者としてではなく、客観的な立場で、ショパンの言葉に耳を傾けていく。

そして、変ホ長調の第二主題に入ると、彼の言葉は聞き取り難い程に、内面へと深く入って行って、こちらは為す術もなく、只黙って聞き入るばかりだ。

ショパンの独白は、解釈豊かな音楽で語り続けるから、深いにもかかわらず包容力があり、知らぬ間にこちらも静かに共鳴してしまうのだ。

高い音域の和音で第二主題を展開させる、最初のクライマックスでは、ショパンの若々しい情熱がほとばしり出る様で、もはや個々に語りかける口調は姿を消していく。

そのあたりからコーダへ向かって、怒濤の様な動きが、次々と変化して顕れる長い場面は、まるで素晴らしい即興演奏を聴き続けているような興奮の渦へと、私を巻き込んで行く。

何百回、何千回、聴いてもだ。

弾く事は、すなわち聴く事でもある訳だが、演奏者自身に与えられたこの快感と興奮に、勝るものは無いとさえ思う。

たとえホロヴィッツの演奏を、聴いてもだ。

いやいや、もし目の前で彼の演奏を聴く事ができれば、その興奮にはさすがに脱帽だろうけれど。

「諸君、脱帽したまえ。天才だ!」

シューマンが、ショパンを見いだした時の有名な言葉だが、この翻訳は、リアルで詩情に溢れていて、ちょっと忘れられない。

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2007年4月15日 (日)

ノクターン遺作

高校生の頃テレビの音楽番組で耳にした、ショパンの聴きなれないノクターンの一曲。その頃好きだったショパンのピアノ協奏曲に似たフレーズが出てきた事もあって、とても強い印象を受けた。

早速自分でも弾いてみたいと思い、その頃勉強に使っていた春秋社版の楽譜の中から、「ショパン・ノクターン全集」を出してきて、ぱらぱらとめくってみたのだが、何故かその曲は見つからない。

海外で出版されている楽譜には載ってるのだろうが、当時それらをとり寄せるには、まずヤマハの銀座店で予約して、それから3ヶ月位は待つというのが常識であった。高校生の手には余る話だし、そのままその曲の事は忘れてしまった・・。

そして数年前。教えていた学生が「この曲を弾きたいのですが・・。」と言って持ってきた楽譜が、その幻のノクターンだったのだ。まさに数十年ぶりの出会いというところである。遺作だった為に、全集の楽譜にも載っていなかったのだと思う。

それは、「戦場のピアニスト」という映画の中で、繰り返し流れてくるメロディーだった。彼女の持ってきた楽譜を見ながら私はためしに弾いてみて、シンプルなその曲の美しさに二人で感動してしまった。

映画の効果なのだろう。それから随分色々な人がレッスンに持ってきて、最近ではこの曲も耳慣れた一曲になった。すっかり有名になったこの曲は、現在様々な楽譜に載っているらしく、持ってくる人それぞれの版によって、ちょっとした違いがみられる事が多い。

不思議に思っていたが、どうやらショパン自身の手稿は火事で消失してしまった為、何人かの人達が写譜したいくつかの楽譜が残っていて、その結果若干の差異が生じているらしい。

演奏会のアンコールで弾いた時の録音を、久々にアップしてみました。

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2007年3月17日 (土)

ハラシェヴィッチ

今日美容院へいくと、BGMにショパンのCDがかかっていた。

「英雄ポロネーズ」「別れの曲」「雨だれ前奏曲」「華麗なる円舞曲「革命エチュード」と有名な曲がランダムに続く。曲の並べ方はユニークだけれど、演奏の素直さは出色だった。

美容師さんに演奏者の名前を聞いてみると、アダム・ハラシェヴィッチ。懐かしい名前である。1955年のショパン国際コンクールで、現地ポーランド出身の若手ピアニストとして優勝し話題になったが、二位に甘んじたアシュケナージのその後の活躍ぶりに比べて、彼の消息は最近あまり聞こえてこない。

私は大学生の頃、彼の演奏したショパンのピアノ協奏曲二曲組みのレコードをよく聴いていたものだった。特に、ショパンが19歳の時に作曲した第二番の方の演奏が、さわやかでとても気に入っていた。帰宅して、彼のCDを探してみた。

「The Golden Twelve]というタイトルで、ショパンコンクール第12回までの歴代優勝者の演奏を集めた数枚のCD。中には、コンクールの時のライヴ演奏も含まれている。

ハラシェヴィッチは第5回だ。ノクターン作品62の1、何とふくよかな美しい演奏だろう。とてもコンクールで弾いているとは思えない静けさだ。三度のエチュードや木枯らしのエチュードに見せる超絶技巧の軽やかさ。バラード1番は、エキセントリックとも言えるホロヴィッツの演奏に耳慣れている私にとって、その淡々とした演奏がかえって新鮮に聴こえてくる。

ここ10年ほど、何度もポーランドを訪れる機会に恵まれた。有名なショパンの大きな像があるラジエンキ(?Lazienki)公園やショパンの生家にも足を運んだ。最初の訪問は11月の終わりだったので、午後の4時にはすっかり陽が落ちて雪のちらつく寂しい季節だった。

不幸な歴史を重ねたポーランドを祖国に持ち、パリで亡くなるまで帰郷する事のなかったショパンの生涯を想像していると、平和な日本でのんびり暮らしている自分からショパンの存在はどんどん遠ざかっていく様な気がして、私はひたすらワルシャワの街を歩き回っていた。

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