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2008年5月31日 (土)

バッハのサラバンド

バッハの緩徐楽章を弾いていて、いつも迷うのはテンポである。

勿論ロマン派の作品の様にテンポを揺らす訳ではないのだが、人間の感受性は時代を超えて、そう大きく変化するとも思えない。

バッハの組曲に必ず出てくる「サラバンド」は、叙情性豊かな緩やかなテンポの舞曲である。

表現する時点で、どの様にテンポをバランスよく感じていくか・・。

その点本番は、一回勝負であるだけに「弾いたもの勝ち」の気楽な面も否めない訳で。

そんなノリで聴いて戴けましたら幸いです・・・ 。

バッハ・パルティータ第Ⅰ番より「サラバンド」

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2008年5月27日 (火)

民族意識について・・。

先日、六本木の国立新美術館へ行った時に、次の企画展として「エミリー・ウングワレ」というアポリジニの画家の宣伝をしているのを見かけた。

ネイティヴ・オーストラリアンの女性画家らしい。

今の文明社会からは隔絶された砂漠地帯で一生を終えた、女性らしい。

最近、学生と共にバルトークの作品を検証するとういう機会があるのだけれど、「民族意識」という概念は、普段の私達の日常には余り縁が無い・・。

そして又、閉ざされた環境に生活して居たウングワレにしてみても、あえて民族に対して固執する感覚は、余り無かったのかもしれないのだが・・。

しかし、両者の底に流れる、潜在的な「民族」に対する意識の相違は、何と大きいことだろう!

ハンガリーの作曲家バルトークが、祖国の民謡や民族舞踊に関連した作品を多く手がけたのは、故国がオーストリアに併合されてしまった悲劇と、勿論無縁ではないだろう。

祖国のアイデンティティが、失われてしまうという境遇・・・。

占領下での現実について、ポーランドの友人が語っていた話は、ちょっと忘れられない。

「ある日、母の兄弟の処にソ連兵がやってきて、彼を連れ去った。そして、彼はそのまま姿を消してしまった。」

disappearedという言葉が、これ程現実的に響いた事は、未だかつて無かったと思う。

そんな中で、民族の文化を守るという強い意志。

もし、自分の中にこびりついている、平和な中でのいささかの知識や経験を、きれいに洗い流して、まっさらな自分を見つめることが可能になったなら、その時こそ日本人としての原点に立つ事ができる様になるのかもしれない・・・。

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2008年5月26日 (月)

「譜めくりの女」を見て

最初は、等身大のフランスの家庭である。

肉屋を家業とする家の女の子が、ピアノを熱心に練習している。翌日に、音楽学校の入学試験があるらしい。

普通の部屋に、普通のピアノ。ピアノの上には、ベートーヴェンの小さな石膏の彫像が、お守りの様に置かれている。

メトロノームに合わせて練習しているのは、ちょっと違和感があったけれど、これらは伏線なのだった。

そして、試験の行われる音楽学校。沢山並ぶ防音のレッスン室へと向かう、石造りの螺旋階段。

何故ヨーロッパの音楽学校には、広い石造りの階段が似合うのだろう。いかにも、の雰囲気が漂ってくる。

チェロを担いで上っていく学生。時折歌声を出しながら、楽しげに降りてくる仲間連れ。時間を気にしながら、急いで駆け上がっていく重い楽譜を抱える女子学生等の姿が、目に浮かんでくる様だ。

そこは、実質本位といった古い建物でありながら、普段着の学生達が、時には素晴らしい演奏をしていたりもする可能性あふれる場所なのだ。

しかし、少女メラニーの可能性は、審査員の無神経な行動によって集中力が損なわれ、無残にも崩れ去ってしまう。

そして、そこからメラニーの復讐劇が始まるのだ・・・。

怖い映画であった。

ピアニストであるその審査員を、演奏中に極度に緊張させる様な状況を作りあげて、その演奏家生命を絶たせてしまうまでの道のり・・。

そこに行き着くまでの時間の経過は、事細かに語られはしない。

しかし、著名な弁護士の事務所に見習いとなって勤め始めたメラニーが、休暇中にその上司の息子の子守役を買って出て、行き着いた先のパリ郊外にある豪壮な館の女主人は、かつての審査員であったのだ。

後半は美しい自然と豊かさに満ちた環境の中で、女主人や息子の奏でるピアノの音を背景に、メラニーはぐいぐいと彼女の心の中に入り込んでいく。

そして、メラニーはピアノ三重奏の演奏会で譜めくりを依頼される。

演奏中につきものの、緊張感をいかに克服するか。

ついにメラニーは、緊張感をピアニストと共に分かち合う立場を勝ち得るのだ。演奏の場面は、見ていて本当に怖かった。

音こそアフレコではあるけれど、不自然さを感じさせない俳優達の演奏の様子が、実に現実的で緊張感がひしひしと伝わってくる。

演奏中の華やかさとは対照的に、本番前の孤独な気持ちに拍車をかける様な、楽屋裏の廊下のうらぶれた様子。

本番の時間が近づくのに、譜めくり役のメラニーが何処を探しても見つからない焦燥感。

今思い出しても、指先に震えがきそうなくらい、怖い映画であった。

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2008年5月20日 (火)

弥勒菩薩(半跏思惟像)

40数年前、高校の修学旅行で、二つの「弥勒菩薩像」を見た。

その頃、弟の作曲のクラスの先輩が「半跏思惟」という題名の曲を発表した。弥勒菩薩の独特な座り方を表すその名前が、強烈な印象だった事もあり、この二つの国宝に特別な関心を持った記憶がある。

中宮寺へ行った日は、雨が降っていた。

説明してくれた若い尼さんの淡々とした関西弁の影響もあって、超俗な雰囲気を漂わせていたお寺の中で見たあの黒い弥勒菩薩像を、私は今でもはっきりと思い出す事ができる。

それに比べると、明るい雰囲気の中で見た広隆寺の半跏思惟像は、記憶には残っているものの余り強い印象は無い。

一昨年、京都へ友人に会いに行った際、ちょっと時間があったので、広隆寺へ寄ってみた。

見る方が還暦ともなれば、印象は違うだろうか・・。

余り人も居なかったので、ゆっくり眺めてみたけれど、顎の下に添えられている右手のバランスや全体像も、私には余り自然には見えてこなかった。

それから、ずーっと気になっていた斑鳩の中宮寺へ、今日やっと行ってきた。

門跡尼寺は、訪れる人も少なく静かな佇まいで、国宝の弥勒菩薩も簡素な本堂の中に、懐かしい姿で座っていた。

彫像は立体的だから、見る角度で表情が大きく変化するらしい。

左の方向から眺めていると、初々しい娘の様な表情に見える。

正面に暫く対峙していると、その目を少しずつ見開いてくる気がする。そして、あと一瞬で我々の為に立ち上がって来そうな気配すら感じられてくる。

右側から眺めていると、口の表情が少し老いてきて厳しさも加わって来るかの様だ。

高校生の時に受けた印象が、還暦になっても大きく変わる事はなかったその事実に、私はちょっと嬉しさを感じながら中宮寺を後にした。

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2008年5月19日 (月)

弁天小僧、そしてモジリアーニ

先週の土曜日、中学校の同期会が東京であった。前日の金曜日、東京での仕事を終えてそのまま泊まり、夜は歌舞伎座へ行った。

今月は「団菊祭」なので、何といっても顔ぶれが素晴らしい。

夜の部は、「弁天小僧」の通し狂言。待ちに待った、菊五郎である。

日本駄右衛門の団十郎をはじめ、、左團次・時蔵・三津五郎とういう面々が、今回が27回目という菊五郎の弁天小僧と連なって、傘をもって居並ぶ場面は、文字通りぞくぞくした。

以前に見た勘三郎の弁天小僧も楽しかったが、この演目は音羽屋の家の芸なのだという。

それを知らなくても、菊五郎の弁天はかねてから是非にと思っていた舞台であった。

「せりふは、覚えるというより体に入ってる」、とご本人が言うとおり、「知らざあ、言ってきかせやしょう・・」の、あの歯切れの良い粋な江戸っ子風情は、ちょっと類が無いと思う。

そして、あの姿の色っぽさ!

翌日の午前中は、数時間ゆとりがあったので、六本木の国立新美術館へ「モジりアーニ展」を見に行った。

沢山並ぶ肖像画の中で、亡くなる前年に描いた「ブロンドの若い娘の胸像」と「女の肖像」の、モデル達の表情が印象に残った。

二人とも、ごく平凡な若い女性である。

「女の肖像」の女性の佇まいは、穏やかで大人しくて、自分の目立たない存在を黙って受け入れている様に見える。

「ブロンド」の娘は、怒っている。自分の置かれた、多分恵まれない環境に怒っているのか。

それとも、醜いと自己評価している自身の容姿に対してなのか、例のアーモンド型の目から、強い気持ちが伝わってくる。

この二人のそれからの人生は、どの様に続いていくのだろうか・・・。

ブロンドの娘は、怒り続けて人生を終わる事になるのだろうか。それとも強い意志で、自分の道を切り開いていくのだろうか。

穏やかな娘は、人知れずその平凡な人生を終えるのか。それとも、穏やかさが、回りを優しく包んで、幸せな一生を送る事になるのだろうか・・。

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2008年5月13日 (火)

昨年のブログに関連して。

音源をアップする事が出来る様になった記念に、昨年書いたブログに関連する曲を、アンコールで弾いた演奏で、貼り付けてみます。

バッハ作曲・平均律第1番プレリュード

「父」

二週間程前、私はピアノリサイタルでバッハのパルティータを弾いた。シューマンの「謝肉祭」ショパンの「24のプレリュード」と続けて、アンコールにはバッハの平均率1番のプレリュードを弾いた。

グノーが、旋律をつけて「アヴェ・マリア」を作曲した、有名な曲である。演奏会の数日前に、この曲を弾く事にした時、私は教会のイメージで弾ければ、と思った。

まず思い浮かんだのは、数年前に訪れたポルトガルの漁村ナザレ。ケーブルカーで上って行った、奇跡があったと伝えられる、丘の上に建つ人里離れた教会。

そして、次に思い浮かんだのは、30年前に北イタリアのボルツァーノで開催された、ブゾーニ・国際コンlクールに私が参加している最中、東京の留守宅で父が急逝した、その時の情景だった。

あの時私は、長い間川岸のベンチにすわって、道行く人々を眺めていた。そして、私の中で父を忘れ去らない限り、私の中の父は生き続けているのだ、と自分自身に言い聞かせていた。

人生に別れはつきものなのだ。還暦を目の前にして逝った父とは、早すぎる別れではあるけれど、遅かれ早かれ別れとは、やってくるものなのだ・・。

バッハのプレリュードをを弾きながら、私は、一体父は今何処に居るのだろう、という理不尽な思いに捉えられた。

昨年リサイタルした時は、数ヶ月前に亡くなった親しい従妹の思いがずーっとあって、アンコールのショパンのノクターンは、彼女と会話している気持ちで弾いたのだった。

あの頃は、練習している時いつも、ピアノの側には彼女が居てくれる気分であった。

バッハを弾きながら、私は今まで父を悼んだ事があったのだろうか、とハタと思い巡らせた。異国でコンクールの最中に訃報聞いた時、私はあえて悲しみを直視せずに、周りの人々に迷惑をかけたりせず、取り乱したりせずに、とそのことに全勢力を傾けた様な気がする。

「実感がわかない、というのは残された者には、慰めにもなり救いである」という言葉にも甘えていた様に思う。

そして、それからずっと、現実を直視せず父の不在にもいつしか慣れて、今日まで来てしまった事に、今、突然気づいたのであった。

今回のバッハは、私が初めて亡き父に語りかけた悲しみの言葉だった様に思う。

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2008年5月12日 (月)

連休も終わり・・。

今年の連休は、私の勤務曜日を避けて通っていった印象だったけれど、思いの他娘が長く名古屋に滞在した為、お休み気分は充分味わう事ができた。

そして、昨日娘が帰京して、我が家の連休も終わってしまった。

今日は、週一回の車で出勤する日。

運転を復活させてから、今年で4年目になるのだが未だに、家にたどり着くまで気が重い。

とはいえ、若い学生さん達の相手をするというのは、いつも新鮮で何とも楽しい。

色々な可能性を持つ若さは、眩しい程である。

こちらは、経験値を最大の頼りにして相手をしているつもりなのだけれど、ちょっとした言葉などがきっかけで、目を見張る様な変化を見せてくれる学生さん達を前にすると、新しく経験を積んでいるのはこちらなのだ、といつも思う。

「目から鱗」の場合も、勿論ある。

彼らの弾く曲を、自分自身で久々に紐解いてみて、時間の経過と共にその曲のもつ新しい面に気づかされる事も、度々ある。

曲に対するアプローチも人それぞれで、横で眺めているとこれも実に楽しい。

只、教育の場は、どうしてもこちらが一方的に意見を述べてしまい、独善的になりがちなので、このあたりのバランスが最も難しいところだろう・・・。

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前奏曲

連休中、娘が暫く我が家に滞在していたので、ネット関連で、色々教えて貰った。

まず、パソコンを新しくした事もあり、音源をブログにアップする方法をマニュアル化。「演奏ブログ」も復活できそうで、還暦の道楽がいよいよ佳境に入ってきた。

今回は、昨年のリサイタルで最初に弾いた、バッハ・パルティータⅠ番から「前奏曲」を試しにアップしてみます。

ライブなので多少の傷がありますが、久々という事でお聴き頂ければ嬉しく思います。

 

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2008年5月 7日 (水)

穏やかな休暇

娘が、ゴールデンウィークと共に東京からやってきた。

名古屋は、娘にとって故郷ではないのだが、やはり実家のある場所へは、「帰る」という気分になるらしい。

娘が加わって、お休みらしい気分が、一挙に我が家を占拠した。

娘が高校生の頃から、お休みが始まると、連れ立って映画を見に行くというのが、楽しみの一つになっている。

今回は、私が東京での仕事を終えて後、娘と待ち合わせて戻ってきたのだが、新幹線まで数時間暇があったので、まず池袋で「つぐない」を、これは一人で見た。

見終わっての感想として、「つぐない」という題名の邦訳には、強い違和感を覚えた。

オリジナルの”Atonement"という単語を知っていた訳ではないけれど、余りにも救いの無いあの結末を考えると、「贖罪」とすべきであったろうと思う。

前半の舞台は美しい英国の館や庭園で、きらびやかなヒロイン達の貴族的な生活が芸術的な音響効果で描かれていて素晴らしかったし。

後の、全ての不幸の原因となった「嘘」を証言する、多感な少女の演技も素晴らしかったけれど。

名古屋では、娘と一緒に「ジェーン・オースティンの読書会」を見た。

これは、楽しかった。こんな読書会があったら、参加してみたい気分である。

以前東京に住んでいた頃、数人の友人達と「ヒコーカイ・クラブ」というのを結成していたのを、懐かしく思い出した。

これは、同じ曲を弾き比べる訳ではないけれど、毎回必ず何か一曲は演奏するという取り決めの、勉強会であった。

月に一回位のペースで、スタインウェイやヤマハのスタジオを借りて集まったものだった。

年間通して、大曲を少しずつ仕上げていく人も居たし、本番前のリハーサルとして弾く人も居た。

仲間同士の気安さで、お互いに言いたい事を批評しあって、終わってからは美味しいものを食べて解散した、あの会はなかなか貴重な存在であった。

アメリカに住んでいた頃にも、「ピアノ」というクラブに参加していた。

それは、婦人会の中にあったクラブのひとつで、やはり月に一度集まっては、お茶を飲みながら暫くおしゃべりした後、何人かの人がピアノを弾くという、楽しいグループだった。

各会員が持ち回りで自宅を開放していたのは、映画の内容と似ている。

これは小さな街で大きな家に住む、アメリカの社会だからこそ成立したのだろう。

現在もこんな風に、又どこかで勉強会に参加できないものかと、アンテナをはってはいるのだけれど・・・。

いざ、探そうと思うと実に難しい。

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