モジリアーニ
先日、日経新聞に「モジリアーニ」に関する特集の記事が出ていて、思い出したのだが・・。
高校を卒業してしばらくしたある日、同じ大学に進学したクラスメイトと一緒に、担任の先生のお宅へ遊びに行った事がある。
英語の先生で怖かったのだが、型にはまらない授業は面白かったし、かなり個性的な先生だった。
ある時放課後に、「このレコード、聴いたことあるか・・?」と、タイプしたメモ用紙を下さった.事がある。
見ると、ベネディット・ミケランジェリの演奏したブラームス作曲「パガニーニ変奏曲」。
不思議な事にその曲は、翌年の日本音楽コンクールの課題に出て、私自身散々悪戦苦闘する羽目になる難曲なのだが、普段から生徒に応じて、そういった様々な発信を送って下さる先生であった。
英語の授業の副読本に、フォークナーの短編集を使用したり、高校生だった私達の世界を、多少なりとも広げて下さったのだと思う。
その先生のお宅で、とりとめもなく話をしている時に、モジリアーニの絵の事に話題が移ってゆき、「そういえばお前、モジリアーニの絵に似ているな」とおっしゃったのだ。
何気ない一言にすぎないのだが、言われた方は、それからモジリアーニが他人とは思えなくなってしまった・・。
モジリアーニに限らず、自分の作風を確立していくまでの、作家達の情熱には、還暦になった現在でも、感動的なものを感じてしまう。
昨日観た、勘三郎、柄本明、小泉今日子が出演していた映画「てれすこ」にも、そういった感動があった。
勘三郎を観ていると、彼自身の情熱にも打たれるけれど、仲間が又素晴らしい。
柄本明は、一体いつの頃から名前を知ったのか思い出せない位、地味な感じの役者さんだけれど、あの独自の世界は、体中にその役の人物が染み渡って、もはや一滴たりとも素の柄本明は存在しないかの様だ。
私は、モジリアーニやユトリロ、ドビュッシーなどに出会うと、余りにもフランス文化が自分から遠い存在に感じられて、疎外感すら抱いてしまう事がある。
一度どっぷりと、お湯に浸かったかのごとく、「フランス」という怪物が、じわじわと自分の体の中にしみ込んでくるまでに、素の自分が無くなるまでに、のめり込んでいけたらと思うのだが・・。
もし、フランス音楽を表現するならば、どこまで自分をフランス化できるかが勝負だろう。
近々、六本木の国立新美術館で「モジリアーニ展が」あるらしい。とりあえずは、そこでしばしフランス文化に浸かってこよう。
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コメント
確かに俯きかげんで座ってるときなどは道子さんモジリアーニに似ているかも。
昔から表情や雰囲気が似てると思うのはシャルロット、ランブリング。暗い映画が多いのだけど彼女の大人の雰囲気が大好き。一番最後に観たのは「まぼろし」という題だったかな。年も私達世代で
年をとってもああ素敵だったらと思います。
投稿 ジューンベリー | 2008年3月14日 (金) 21時24分
ジューンベリーさま
度々コメントありがとう。
あなたとは、何度もミニシアターへ映画を見に行った事があるけれど、ほら、旅行中に、サンクトゥ・フローリアンだったかしら、ドナウ川沿いにある修道院へ、電車に乗って見に行った事があるでしょ。
あの時、お昼ご飯を食べながら、かつて見た映画の話を色々おしゃべりしたのを思い出しました。
あなたは、全体に暗い作品が好きなのよね。乙川優三郎とか藤沢周平ですものね・・・(笑い)。
ランプリングは、私の知らない女優さんなので、ネットで見てみました。似てるなんて言って貰えるなんて、恐れ多い感じの女優さんじゃない?どうも、有り難う!
投稿 pialog | 2008年3月15日 (土) 16時08分