バラード第一番・ト短調
ショパンがこの曲を作曲したのは、20代前半であり、考えてみれば私は彼の母親の様な年齢なのだ。
ショパンの言葉が、とても親しみを感じて聞こえてくる様になったのは、私が年齢を重ねていったからだろうか。
不幸な祖国の歴史を背負い、遠く異郷で短い人生を終えた、「ピアノの詩人」が、いつの頃からか、久々に母親を訪ねて来て静かに語りかけてくれる、息子の様な存在に変化してきたのだった。
バックグラウンドが違う息子の言葉は、難しくてさっぱり意味がわからないわ、といった曲も多々あるのだけれど・・。
そこで、ト短調のバラード。
まず最初、両手のユニゾンで上っていくイントロは、「シューマンの”胡蝶”を聴いて、印象に残ったんじゃない?」と、問いかけてみたくなる。
「でも、底に流れる気持はベートーヴェンの熱情ソナタかな・・?」と、付け加えてもみたい。
短い前奏が、第一主題に入ってト短調に落ち着くと、彼は切ない気持を、様々な言葉で伝えてくる。もし私が若い女性ならば、それは愛のささやきに聞こえたかも知れない・・。
年齢を重ねるのは楽しい事だ。今の私は、当事者としてではなく、客観的な立場で、ショパンの言葉に耳を傾けていく。
そして、変ホ長調の第二主題に入ると、彼の言葉は聞き取り難い程に、内面へと深く入って行って、こちらは為す術もなく、只黙って聞き入るばかりだ。
ショパンの独白は、解釈豊かな音楽で語り続けるから、深いにもかかわらず包容力があり、知らぬ間にこちらも静かに共鳴してしまうのだ。
高い音域の和音で第二主題を展開させる、最初のクライマックスでは、ショパンの若々しい情熱がほとばしり出る様で、もはや個々に語りかける口調は姿を消していく。
そのあたりからコーダへ向かって、怒濤の様な動きが、次々と変化して顕れる長い場面は、まるで素晴らしい即興演奏を聴き続けているような興奮の渦へと、私を巻き込んで行く。
何百回、何千回、聴いてもだ。
弾く事は、すなわち聴く事でもある訳だが、演奏者自身に与えられたこの快感と興奮に、勝るものは無いとさえ思う。
たとえホロヴィッツの演奏を、聴いてもだ。
いやいや、もし目の前で彼の演奏を聴く事ができれば、その興奮にはさすがに脱帽だろうけれど。
「諸君、脱帽したまえ。天才だ!」
シューマンが、ショパンを見いだした時の有名な言葉だが、この翻訳は、リアルで詩情に溢れていて、ちょっと忘れられない。
最近のコメント