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2008年2月27日 (水)

メリル・ストリープ

学校が春休みに入ったので、ここのところ映画やお芝居に明け暮れている。

先日見た映画が「いつか眠りにつく前に」。”あなたが最期に呼ぶのは、誰の名前ですか”という、コピーがついている映画だ。

癌の末期で意識の混濁する中、娘達の知らない名前を何度も口にする、年老いた母親。彼女の中で、若かった日々の遠い過去が、美しいロードアイランドの海辺を舞台に、蘇ってくる。

彼女がブライドメイドをつとめた、親友の結婚式を巡る数日が、現実と交錯しながら描かれていく、そのちょっと時代がかった様子が、何とも素晴らしい。

そして、死期のせまった彼女のところに突然やってくる、かつての親友が、メリル・ストリープ。

今まで、何人のメリル・ストリープに出会った事だろう。

最初は、多分「クレイマー・クレイマー」だ。アメリカへ引っ越した時の、飛行機の中で見た映画だった。

この時は、父親役ったダスティン・ホフマンの印象の方が強くて、特に台所の調理台の上に坊やを座らせてフレンチトーストを作る場面が印象に残り、当時よちよち歩きだった娘を、よく調理台に抱き上げては、フレンチトーストを作ったものだ。

記憶の順序は、定かではないが「マディソン郡の橋」では、イタリアから移住した中年の主婦といった容姿が忘れられないし、「マイ・ルーム」での、エゴイスティックな美容師の彼女と、、白血病に冒された姉のダイアン・キートンとのやりとりも素晴らしかった。

「ミュージック・オブ・ハート」のエネルギッシュな音楽の先生。「恋におちて」の相手役は、今思えばロバート・デ・ニーロだったのか・・。

そして勿論「プラダを着た悪魔」の彫刻の様に冷たい美しさ。

岩下志麻が若かった頃、インタビューで答えていた「女優としての理想は、可能性」といった内容の言葉が、未だに記憶に残っている。

表現することは、何でも共通しているのだなと、とても印象深かったのだ。

そして、メリル・ストリープの出演する新しい映画は、私にとって、いつも限り無い可能性へと向かっていく、わくわくする贈り物の様な気がするのだ。

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舞台

昨日「恋はコメディー」という芝居を見た。浅丘ルリ子、渡辺えりが出演する翻訳コメディ。

二人の掛け合いも絶妙だったし、台本が最高に面白くて、散々笑って帰って来た。

渡辺えりは今まで見る機会がなかったのだけれど、物事の捉え方が大きいのだろうな、という印象を受けた。歌舞伎の脚本を書いたりする位だし・・。

そして、浅丘ルリ子。

あの美しさは文句なく素晴らしい。階段を高いハイヒールをはいて降りてくる仕草など、全く年齢を感じさせないのにはびっくりした。

浅丘ルリ子は昔から好きな女優さんだったけれど、寅さんシリーズのマドンナがきっかけだったのか、いつの頃からか凄い俳優さんに変わったと思う。美しい女形の枠からはみ出した、最近の福助と共通なものを感じる。

前日電話予約したときに、残席は二枚しかなかったらしく、当日の入り口には「本日の公演は完売いたしました」と札が出ていた。

集客に苦労している身としては、それだけでもひたすら感心してしまったのだが・・。

後ろの座席から、「やっぱりねえ・・。実際の年齢と、かけ離れすぎてるし・・・。水谷八重子なんかは、70歳すぎても吉右衛門相手に、19才の娘役をやって、せりふは完璧だったけどね。」と、しゃっべているのが、聞こえてきた。

その人は、単に自分の観劇経験を披露したかっただけなのかもしれない。が、客席総批評家という矢が、第一線のプロに対して放たれている怖さを、ひしひしと感じてしまった。

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2008年2月23日 (土)

ライブハウス

初めてライブハウスに行ったのは、新宿にあった「ピット・イン」。ジャズが聴きたいと言うよりは、ジャズの現場を見てみたいと思ったのだが。

何だか、聴こえるのはジャズだけど、クラシックの演奏会同様、余り楽しそうな雰囲気は感じられず、居心地は余り良くなかった。

次に行ったのは、六本木にあった「ミスティ」で、これは、山本剛のピアノを中心にしたライブハウスだった。最後に必ず「ミスティ」を演奏するのだが、午前二時位だった閉店時間まで粘るのは結構大変で、途中でリクエストして帰って来た事もあった。でも、ここは楽しかった。

その後、20年位は色々変遷があり、子供達が成人してからは、家族で食事に行った帰りなど、ほろ酔い機嫌で、新宿の明治通りにあった小さなライブハウスに立ち寄ってみたり・・。

そして三週間前の土曜日、原宿のライブハウスへ、初めて息子のライブを見に行った。

若者向きの大音響は苦手な筈の私が、ライブハウス一杯に響き渡る息子の歌声を聴きながら、よくあんな声が出る様になったものだ、と感無量であった。

最初は、たった一人で多重録音したカラオケをひっさげて活動していた息子だったが、いつの頃からか、サポートしてくれるギターやドラムの仲間ができていた。

5,6年前に、どうしても音楽がやりたいと、家を出て独立していった息子が、この日のワンマンライブを実現させるまでに、一つ一つ丁寧に積み重ねてきたのだ、と思うと、高校生の頃に自分の部屋でよく聴かせてくれた息子と重なって、感動的であった。

立ち見が出る程のお客さんが集まって、最後には手拍子のアンコールが出て、楽しい一晩であった。

翌日の東京は大雪で、あたり一面が銀世界となり、息子のブログには、「ワンマンライブの成功が、そんなに珍しいのか・・(笑い)」と書かれてあった。

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2008年2月22日 (金)

仏像

ここ10年位前から何となく、仏像などが故国の素晴らしい芸術作品として、気になりだした・・。

オペラから入った歌舞伎の位置づけに似てはいるのだが・・。

昨日、家族が居なくて暇だったので、新幹線に乗って京都へ行った。名古屋からの所用時間は36分、感激的だ。

これだけ近い場所にあるのだから、少しずつ京都に土地勘ができる様、順々に歩いてみようか、とまずは駅より南の東寺へ行った。

東寺と思われる方向へ歩き始めると、まるで観光バスからおりてきたかの様な老若男女が、(まあ老が大半だが)列になって歩いているのに紛れ込んだ。このシーズンオフに・・・。

10分ほど歩くと、お寺に着いたが、交通整理も出ていて、そこは大勢の人々でごったがえしていた。

毎月21日は、開祖弘法大師の命日で法要が行われ、参道は縁日の賑わいの中、たくさんの出店が並んでいたのだった。

一方、拝観料を払って入っていく広い境内は、人もまばらで、静寂な気持で国宝を眺める事ができた。

そこで観た二体の仏像。最初は、薬師如来像。伏し目がちの目は、何も見ていない様でもあり、すべてを背負っている様にも見える。

座り方は、全ての重心が下にあって、体のどの部分にも無駄な力が入っていないからか、仏像の心が全く読めない。

仏像に限らず、顔のある美術品は、長い間眺めていると、こちらの気持が次第に静かになるからだろうか、表情が色々変わって見えてくる様な気がする。

しかし、この如来像は、じっと座っているだけで深淵な思惟から動かない。

次に観た、大日如来は、目がやや開いているので視線の先がまっすぐこちらに向かっていて、ささやかな対話が成立しそうな気がする。

言ってみれば、人間的な気がする。

アガサ・クリスティの推理小説に、ミス・マープルという謎解き名人が居る。

このおばあさんは、田舎町にずーっと住み続けていた経験から、事件を巡る人物達の人間性を、過去に出会った様々な人との共通性と照らし合わせて、謎を解き明かしていくのだった。

仏像も、過去に出会った誰かとの類似を見つけると、親近感が感じられてちょっと安心するのかもしれない。

私は、仏像を観るのが好きだけれど、表情からは計り知れない存在感の何かに、強く惹かれる。

それは、若い日にフィレンツェで見た、ミケランジェロのダビデ像の印象とは、全く異質な感動かもしれない。

あれは、青年のエネルギーがみなぎっていた。大理石というのも、ちょっと人間に近いものを感じる。

「そうだ、京都、行こう」、の第一日目は、午前中の東寺ですっかり満足してしまい、その後は少しずつ北上しながら、南禅寺の山門や、教えて貰った永観堂のみかえり阿弥陀如来像等を見た。

私は、当てもなく歩いて居るのがとても楽しい。

それが、京都だと、突然祇園の裏道に紛れ込んでしまって、昼間の舞子さん達が行き交って挨拶しているのにぶつかったり、白い壁がずーっと続く、静かな古い住宅街に入り込んでしまったり・・。

ご免なさい、京都で静かに暮らしている皆さん、という気持だった。

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2008年2月15日 (金)

神童

最近、「神童」という映画が公開されたらしいのだが、主人公の女の子の弾くピアノを、吹き替えで実際に演奏していた少女の、演奏会を聴きに行った。

現在13歳だという日本生まれのその少女は、5歳の時に母親と共にウィーンへ移り住み、ヴァイスハール門下生となって、現在も当地で勉学を続けているらしい。

リサイタルでは、4曲のモーツアルトとショパンの小品を弾いた。

モーツアルトの演奏を聴いていると、やはり日本育ちの我々とは音楽の聴き方がちがうのだろうな、という印象を強く受けた。

音楽を立体的に聴いている、といえばよいだろうか・・。

バレーの舞台で踊る、男女ペアのバランスを思わせる・・。

まるでバレーの男性役の様に、低音の響きが、曲の中の役割の分担に応じて、バランスを変化させていくのは、聴いていてとても楽しかった。

環境の力の、大きさなのだろうか。

絵心の無い私は、絵を描いている人を側で眺める度に、きっと対象物を見る目が違うんだろうなあ、といつも思う。

技術は、多分その後に付いてくるものだろう。

「どんな聴き方をするか・・」

これはきっと、どんな生き方をするかに関わって来るのだと思う。

まあ、西洋音楽は、西洋で暮らす人にとって、自然である事は確かだよなあ。

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2008年2月 6日 (水)

グリーンの傘

子供の頃、サンタクロースの存在を随分長い間、信じていた。

気の強かった私は、小学校で「サンタクロースは、絶対いるんだから!」と、友達と口論した事もあった。

「お母さんに聞いて、確かめてくる!」という捨て台詞を残して、帰ってきた日。

夢が壊れた事よりも、口論に負けた悔しさの方が印象に残っている。数年後に、やはり現実を知った弟は、がっかりして泣き出したというのに・・。

それから数十年過ぎて、今度はこちらが子供にプレゼントを用意する立場になった。

2歳半と1歳半の子供達と共に、その頃我が家はアメリカのプリンストンに住んでいた。12月のある週末、パパと子供達にお留守番を頼んで、私一人町外れにあるショッピングセンターへ、買い物に出かけて行った。

運転免許取立ての私にとって、そこが、その頃自力で行ける唯一のデパートだったのだ。

10月からプレ幼稚園の様な、ナースリー・スクールに通い始めた娘は、英語社会の中で、少しずつ外の世界を学び始めていた頃だった。

朝、学校(スクールだから我が家ではそう呼んでいた)に着くと、子供達は暫くの間、それぞれが好きな事をして過ごし、それから一日が始まるらしかった。

娘は大体、まずハンモックを着て、ペインティングというのが、お決まりのコースだった。お気に入りの色は、グリーン。

今思えば、言葉のコミュニケーションで苦労していた、子供なりの知恵だったのかも知れない・・。

いつも母親同士が送迎の交代をしていた、スミという近所の男の子が居て、その子が雨の日に、子供用の傘をさしていたのだった。

娘はそれが相当羨ましかったらしく、「持って上げる・・」と言いながら、いつも貸して貰って歩いていた。

そして、買い物の日。

プレゼントを探しにデパートに着いて、二階の売り場に行くと、そこにはまるで、私を待っていたとしか思えない、鮮やかなグリーンの子供用傘が飾ってあったのだ。縁の回りに可愛いフリルが付いて、それはそれは華やかで素敵だった。

その横には、ひとつだけシンプルなベージュの子供用傘があって、まるで「弟の方には、これを・・」、と囁かれたみたいだった。

それが、私のサンタクロース・デビューの瞬間であった。

娘の「学校」では、色々楽しい企画があって、毎週水曜日にお気に入りのものを持ってきては、皆にご披露する時間、というのがあった。

娘は毎週、水曜日になると晴れても曇っても、そのグリーンの傘を持って行った。

ある時、私がお手伝いの当番の日。

先生が読み聞かせの時間に、「今日は、日本の本にしましょうね。」と言って、松谷みよこの「小さなモモちゃん」の本を読んでくださった。

モモちゃんが青い傘を差してくる場面で、先生がおっしゃった。「傘の色はブルーでした・・。では、カータン(と、娘は呼ばれていた)の傘の色は、何色でしょう?」

子供達は、口を揃えて大声で応えた。

「グリーン!」

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2008年2月 5日 (火)

再会の街で

暫く、東京で仕事が続いた為、久々に五日間の連泊をした。試験に立ち会うのだが、夕方には終了するので、ある日当ても無く恵比寿のガーデンプレイスへ出かけてみた。

あそこには、ミニシアターが二つ(?)あるし、ビヤステーションという名のドイツ風ビヤレストランがある。

映画の上映スケジュールに合わせて、ビールを飲みながら時間調整するのが、いつもの私流なのだ。

4時半頃シアターに着くと、「再会の街で」が、丁度始まるところだったので、すぐ中へ入って行った。昨年八月に誕生日を迎えて以来、シニア料金なのが何とも心地よい。

映画に関しては、何の予備知識も無かったのだけれど、歯科医として成功している黒人の中年男性が、ニューヨークの街角で、大学時代のルームメイトを見かけたところから物語が進行していった。

チャーリーと呼ばれるその友人は、9月11日、飛行機に乗っていた妻子を一瞬にして失い、それ以来自分の過去を封じ、殻にこもった生活をしている。

二人が、反発したりお互いを思いやったりしながら、次第に気持ちを交流させていく感動的な内容で、こういった映画では素直に泣いてしまう私は、そこから、不細工な泣き顔のままビヤレストランへ直行。

久々にニシンの酢漬けとウィンナシュニッツェルで、「一人・ビール」を味わった。

同時多発テロの翌年の9月、私はたまたまカナダに滞在中だった。11日は、追悼の場面をテレビで一日中見ていたのをよく憶えている。

グラウンドゼロと呼ばれる跡地で、ヨー・ヨー・マが一人で弾き続けるチェロの音に乗せて、犠牲になった全ての人の名前が、読み上げられていった。

当時のジュリアーニ市長自身の声、だった様に思う。

不幸は突然やってくる。それが、人為的な理由であろうと、不可抗力であろうと、不幸はやってくるのだ。

幸せは・・?自分の方から、探し出していくものなのか・・。

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