戦後
今から50数年前の、札幌グランドホテルでのクリスマスパーティーとは、一体どんな集まりだったのだろう。
かすかに憶えているのは、先生に手を引かれて皆の前へ行き、ソナチネの7番を弾いた事だ。それが、私の初舞台。小学校に入る少し前の12月だった。
それは、クリスマスコンサートだったのかもしれない。室内楽や声楽の演奏があった様な気もするし、たった一人の子供の出演者だ、ということでたまらなく誇らしかった事は、何となく憶えているから・・。
そして、帰りがけに、真っ白な髪のアメリカ人のおばあさんが、屈みこむ様に私に向かって、「昔の様に、もし今も私の家にピアノがあったら、遊びに来てピアノを聴かせて欲しいのだけれど・・」と話し掛けてきた場面は、訳はわからないながら、今もはっきり目に浮かぶ。
親しく外国人に話し掛けられたのは、その時が初めてだったからだろう。日本語の堪能だったその方には、後に、私の進学した中学の、英会話の授業でお逢いした。もっとも、私の入学直後に、高齢の為退職されてしまったので、昔話を交わす機会は得られなかったけれど・・。
外国人を交えて、ホテルでのクリスマスパーティーとは、あの貧しかった時代にさぞきらびやかなものだったのだろう・・。
私が生まれた頃は、進駐軍という名の軍服を着たアメリカ人はよく見かけたけれど、彼らは子供こころにも、ちょっとニュアンスの違う外国人だった。何処となく、怖く見えたし・・。
その頃、進駐軍の一人と結婚した、母の友人宅へ遊びに行った事がある。生まれたばかりの、コーラちゃんという青い目の赤ちゃんがいた。楽しかった記憶があるけれど、その時、パパは軍服を着ていなかったからなあ。
1980年だったと思う。イランのアメリカ大使館が占拠されて、大勢のアメリカ人が人質になるという事件があった。その際、最初に開放された人たちの中に、一人日系人が居たという記事を読んで、そこに懐かしい名前を見つけたのだ。
お母さんが日本人で、名前が「コーラ・アンヴァォ‐ンさん」。突然、幼かった日々、発音の難しいその、アンヴァォーンさんの名前を練習するのが、、周りで流行していたのを思い出した。
小学校の頃、天使病院のお医者さんに親しい知り合いが居て、よく遊びに行っていたのだが、そこで時々、鈴木ルカちゃんという金髪の可愛い男の子に出会った。同じ学年位だったのだろうか、ヴァイオリンを弾くその姿は、学校の仲間とは世界が違う程に素敵だった。
子供の事だから、養子だという位しか詳しい事情はわからなかったけれど、私にとって、「あいのこ」という響きは、あの美少年だったルカちゃんと結びついて、ちょっと物悲しく、そしてちょっと、ときめいて聞こえるのだ。
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