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2007年12月28日 (金)

「一力」の大福餅

北大のキャンパスの端あたりから、私は昔の路面電車が通っていた公道に出て、周りを眺めながら歩く事にした。

ある時、弟と二人で自転車に乗ってその辺をぶらぶらしていたら、百円札が6枚ぱらぱらと道端に落ちているのを見つけた事があった。二人で北署と呼ぶ交番に持っていった。

お回りさんは、小さな子供たちがお金を届けに来たのに驚いた様子だったが、三ヶ月だったか半年だったかは忘れたけれど、「ある期間待っても、落とし主が現れなかったら、そのお金は届けた人のものになるのだよ」と教えてくれて、私たちは嬉々として住所を伝えて帰ってきた。

そして、小さな子供達には大金に思えたそのお札が、いよいよ自分達のものになるのだ、という知らせの郵便がやって来て、母に連れられて受け取りに行った様な覚えがある。

記憶によれば、北20条あたりにその北署はあったのではないかしら・・。

そして、当時の我が家から最寄の停留所だった「北24条」にたどり着く。ここから市電に乗って、週一度ピアノのレッスンに通ったのだし、中学生になってからは、毎日電車通学をした、私のいわば拠点である。

確かオリオン座という映画館があったなあ・・・。突然記憶が蘇る。町並みは変わってしまって、映画館は見つからなかったが、線路の東側には記憶どおりにお薬屋さんがあった。

西側の角は市場だった筈、と思い出した瞬間小さなスーパーが目に入る。あの頃、母の日というと、弟と競う様に母の喜びそうなプレゼントを用意したものだった。

ある時、それぞれが自転車に乗って買い物にでかけ、母の好きな大福餅を買いに行くと、そこで同じ事を考えていた弟に、ばったり出くわした事があった。

場所は覚えていた。和菓子屋はすぐにみつかって、そこで「一力」という看板を見た時は、力が抜けそうになった。中に入ると、おしゃれな店作りに変わってはいたが、ガラスケースの端っこには、控えめに大福餅が並んでいた。

私は、一個だけ買い求め、近くの公園で懐かしい感触を味わった。

卒業した柏陽小学校の前を通り過ぎ、いよいよ、と思った場所には、何と巨大な駐車場と大きな量販店が・・・。ここでは、中まで入って見る気は起きなかった。

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2007年12月27日 (木)

メンラード神父様

夏休みに、札幌へ行った。私にとっては、中学二年まで過ごした「ふるさと」である。
殆んど50年ぶりに、昔住んで居た界隈まで、札幌駅から歩いてみた。

当時、札幌駅以北は北大の広大なキャンパスがあるばかりで、まだ余り開けた場所ではなかった。そして私はその頃、キャンパスの更に少し北にある、官舎に住んで居たのだった。

細かい記憶が薄れてしまっている私にとっての目印は、当時路面電車で今は地下鉄の路線となった駅名と、近くにあった公立高校。

昔の電車どおりに沿って、西側に北大の敷地が延々と続いていたのは、印象に強く残っていた。

まず、北大正門からキャンパス内に入ってみた。さすが観光地の大学だけあって、夏期休暇中で学生数が少ない事もあったけれど、有名なクラーク博士の銅像前で見かけたのは、親子連れや観光地には欠かせない私の様なおばさん達。私も、小学生の頃は自転車に乗って、よくこの大自然に恵まれた構内へ遊びに来たものだった。

静かな道を歩いて居ると、小さな世界なりに力一杯毎日を生きていた、子供の時の感覚が突然思い起こされて、不覚にも涙が溢れてきそうになった。

広々とした北海道の大学は、昔訪れたアメリカの大学を思いおこす様な、異国情緒に溢れていて、旅情をさそう。

キャンパスの少し東に、天使病院があったのを久々に思い出した。その側には、カトリックの僧院と教会があって、メンラードという名のドイツ人の神父さまがいらした。

子供心に、その神父様の存在の背景に、生身の西洋へと繋がる道を想像しながら、憧れをもって、日本語の堪能な神父さまのお話を聞いていたものだった。

あるとき、教会の近くに住む知人の家の子供たちと、僧院の庭へ遊びに行って、夢中になって騒ぎ回っていると、どこからかその神父様が出ていらした事があった。

「みんな、こっちに来てごらん」と呼びかける神父様に連れられて、後ろめたい気持で付いていった私達は、うす暗いお部屋に案内されて恐る恐る入って行くと、そこは神父様の自室だったらしく「良いものをあげましょう」と、宗教画の描かれたたくさんのカードを頂いたのだ。

それらには、ラファエロの聖母子像等が描かれていた。

後に長じて、ヨーロッパの美術館でそういった宗教画に出会った時、私はその時の敬虔な気持をよく思い出したものである。

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2007年12月21日 (金)

老楽手

シューベルトの歌曲集「冬の旅」の終曲は、昔の楽譜では「老楽手」と訳されていたと思う。最近は「辻音楽師」が多い様だが。

父が若かった頃、楽譜は読めないのだが、アルコールが入ったりすると自分で何か歌うのが楽しみで、まだ子供だった私も、よく伴奏に付き合ったものだった。

父の数少ないレパートリの中に、その「老楽手」があった。何と懐かしい響きだろう・・・。当時の私は勿論、漢字から想像する意味、位しかわからなかったけれど・・。

今日久々に、フィッシャー・ディースカウとジェラルド・ムーアのCDを聴いた。そうか、こんな曲だったのか。

24曲目まで、長い行程があって、最後に行き着いた終曲。ムーアの伴奏では、その思いが、ちょっとした間の取り方で、ハッとする様に表現されていて、驚かされた。

シューベルトの最後のピアノソナタ・変ロ長調を、初めて聴いたのは、ハンガリー出身のV先生のリサイタルだったと思う。

歌曲や交響曲に比べて、シューベルトのピアノ曲に余り魅力を感じていなかった私は、その時、今までは感動的な演奏に出会っていなかっただけなのだと、気づかされたのだ。

80歳を既に過ぎた先生の演奏は、丁度あの老楽手の曲の様に、世俗的なこの世から一歩踏み出した孤独感と、それを受け入れている静けさが漂っていて、ホール全体には寂しさが溢れていた気がする。

30歳を超えたばかりの青年とは、とても思えない作曲者の、まるで晩年を思わせるあの作風は、一体何なのだろう・・。

その頃、「ノットゥルム」という映画を、ミニシアターで見た。シューベルトが亡くなるまでの数年を丁寧に描いた、かなり長い映画だったが、シューベルトの孤独が少し理解できた思いだった。

罹病、という不幸。更に、貴族の友人たちとの交流の中で、超える事のできない身分違いという現実。

還暦を迎えた現在でさえ、シューベルトの最後のソナタが弾ける心境に至らない自分は、何と平坦な人生を送ってきたのだろう・・・。

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2007年12月17日 (月)

シャコンヌ

先週、勤務している音大で卒業試験があった。次々と演奏される曲の中に、バッハ=ブゾーニの「シャコンヌ」があって、遠い昔の自分の学生時代の思い出が浮かんできた。

大学時代の仲間で、非常に強く印象に残っているヴァイオリンの友人がいる。とにかく凄い練習量なのだ。

通常、ピアノ以外の音楽学生達は、ピアノ伴奏者と共に担任の先生のレッスンを受けに行く。だから、ピアノ科の学生達は、色々な友人達に伴奏を頼まれる事になる。

そして私たちは、彼らに付いて行って、他の科の先生達のレッスンを受けるという、素晴らしいチャンスに恵まれた、という訳だ。まあ、その為の練習も、なかなか大変ではあったのだけれど、どれだけ貴重な勉強をさせて貰ったか、計り知れない。

私はそのヴァイオリンの友人と共に、毎週U先生のレッスンに参加していたのだが、彼女は、週一回のレッスンで見て貰う曲だけでは、とても足りないとばかりに、様々な曲を一人で勉強していた様子だった。

休み中等は私も相手を頼まれて、お蔭でベートーヴェンやフランクのソナタ等の名曲を、我流ながら二人で一生懸命練習したものだった。

その上更に、彼女は一人でも練習を続けていて、その中の一曲が、バッハの無伴奏パルティータ第2番の終曲「シャコンヌ」だった。

それまで、余り身近ではなかった弦の響きを、近くで聴けるだけでもわくわくしていた私は、ある時、目の前で友達が弾いてくれた「シャコンヌ」の格調の高さに、すっかり傾倒してしまった。

グリュミオのレコードを買ってきて、毎日の様に聴いていた。ジャケットの中に入っていた、ヴァイオリンの楽譜を見ながら、ピアノで弾いてみたりもした。

その頃、ゲルバーというアルゼンチンのピアニストが来日して、ブゾーニの編曲したピアノソロの「シャコンヌ」を弾くのを聴いた。そうか、あの曲を自分でも弾く事ができるのだ、という発見!

頭の中で鳴っている、ゲルバーのあの音を自分でも出したい。手が余り大きくはない私にとって、ブゾーニの編曲したピアノソロは、決して簡単な曲ではないのだけれど、あれは私が、初めて夢中になって練習した曲だった気がする。

数年後に、イタリアのボルツァーノで開催されたブゾーニ国際コンクールに参加した際にも、ブゾーニの作品として、私は勿論この曲を選んだのだ。

そして、コンクールで「シャコンヌ」を弾く日、たまたま東京の自宅に電話すると、出てきた祖母の余りにも異常な対応の様子から、私は多分父が亡くなったのだろう、と察してしまったのだ。

今でも、その時の感覚を、はっきりと思い出す事ができる。

最近右手を怪我した学生が、ブラームスの編曲した「左手の為のシャコンヌ」を持ってきて、又シャコンヌとの付き合いが始まった。

ネットで探した、色々な作曲家達が編曲した「シャコンヌ」を、数曲集めたCDがある。現代作曲家の編曲したそれ等は、相当自由に原曲から離れていて、それなりの味わいがある。

それぞれの曲を聴いていると、編曲した作曲家達の、バッハの「シャコンヌ」に対する解釈や思い入れがわかって、興味は尽きないけれど、ピアノ曲としてはやはりブゾーニ編が圧倒的に面白い。

還暦を迎えた「シャコンヌ」も、又楽しいかしら・・・。

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2007年12月10日 (月)

暇つぶし

今年の春ブログを始めた時に、ホームコンサートのノリでピアノを弾いて、それをアップしてみようかな、と簡単に考えていたのは甘かったなあ・・・。

最初の設定から全て、「他人の何とやら」での土俵だったから、まあ当然と言えば当然なのだけれど。それでもアップの仕方を詳しく書きとめて貰って、ノートを見ながら、一度は実行したのだった(ノクターン遺作)。

だがそのうち、パソコン本体にトラブルが生じて他の機種に替えてからは、もはや手が出せなくなってしまった。

機械に疎い私にとって、分不相応の試みだったと言うべきだろう。

私くらいの年齢になると、勿論商業ベースとは関わり無いのだが、保存の為に自分の演奏の録音を、デジタル化する人も多いし、誘われることも多々ある。

で、そういった事を還暦からの暇つぶしに、もし自分の手でできたら楽しいかな、と想像してみたのだったが・・。

はてさて、これから老後へ向けての暇つぶし。又、何か新しい事を探さなくては・・。

それとも、初志貫徹か・・?

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2007年12月 4日 (火)

ハイリゲンシュタット

先日HMVへ行った際、店内にベートーヴェンの「エグモント序曲」が流れていた。意図とは関わり無くベートーヴェンを偶然聴くと、何故かとても感動してしまう。

他のプロがお目当てで行った演奏会で、思いがけず「運命」等を聴いたりすると、他の曲がかすんでしまう事さえもある。

いつだったか、国際便の飛行機のイヤフォンで聴いた、ブレンドルのピアノ、サイモン・ラトル指揮ウィーンフィル演奏の、ベートーヴェンのピアノコンチェルト2番は、ちょっとしたショックですらあった。

5曲あるピアノコンチェルトの中では最もマイナーな曲で、私も余り馴染みが無かったのだが、あの楽しげでまるで音遊びの様なウィーンフィルには、すっかり参ってしまった。

サイモン・ラトルも名前しか知らない頃だったので、一体この指揮者はどんな人なのだ、いつかは生を聴かなくてはと、強く思い込んでしまった。

久々に、ウィーンフィルのコンサートを聴きに出かけた時のプログラムが、ラトル指揮でR・シュトラウスの「メタモルフォーゼン」に、ブレンドルのピアノで、シューマンとモーツアルトのコンチェルト「ジュノム」だったのは、全くラッキーであった。

私がウィーン滞在中に必ず訪れるのは、ハイリゲンシュタット。「ベートーヴェンの散歩道」と名づけられた小川のほとりで半日過ごして、例の遺書を書いた家に足を向ける事もある。

だからと言って、簡単に霊感が得られるものではないし、能天気に暮らしてきた私には、遺書まで書いた芸術家の精神に、到底近寄れるものではない。

それでも、ベートーヴェンが感じたかもしれない、空気の感触や小川の流れそのものを、目の前に眺めるのは少なからず感動を覚える経験ではある。

先日、ベートーヴェンの「32の変奏曲」を、久々に弾いてみて、なぜかひどく感動した。彼の悲しさ寂しさが、ひたひたと伝わってくる様で、涙が出てきそうであった。ハイリゲンシュタットの風景とも重なって、あの中でベートーヴェンは、一人で強い意志をもって曲を書き上げていったのかと、ひどく現実的に彼の状況が思い浮かんでくる様であった。

ヨーロッパの街や村は、芸術家達がその土地で、息づき悩みそして成熟していった、一個の人間としての足跡が残る現実の場所なのだ、と時折ふと気づかされる。

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2007年12月 3日 (月)

ヴァイオリン協奏曲

HMVで、クレーメルのヴァイオリンのCDを当ても無く探していたら、樫本大進のブラームスのヴァイオリン協奏曲を見つけた。

聴いてみるまでもなく、お世話になった方へのプレゼント用に、そして勿論自分用にも購入した。

樫本大進は、彼がまだ20歳位の頃だったろうか、N響と共にメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を演奏するのを聴いて以来、機会があれば聴きにで出かけている、お気に入りの若手ヴァイオリニストである。

チョン・ミョンフンのピアノと若手演奏家の室内楽のコンサートで聴いた、メシアンの「世の終わりの為の四重奏曲」は、特に心に響く演奏だった。ヴィオラの川本嘉子の名演も忘れられないけれど・・。

樫本大進の叙情性が、曲の進行と共に音楽の中に深く深く入り込んで行く様で、その感情の動きは、聴いているこちらにも、しーんと静かに染み渡ってくるのだ。

今も横のプレイヤーから聴こえてくる、ブラームスの協奏曲のCDは、チョン・ミュンフンの指揮で、まさに処を得た演奏といおうか、聴いている私にとっても会心の作品という気分である。

ブラームスは、熱いところが青春の香りに結びつくのだろうか・・。大学の学生オケ、というと、演奏はさぞ難しいだろうと思うのだけれど、ブラームスのシンフォニーはプログラムの定番であるし。

還暦の耳にも、若々しい情熱が伝わってくる。私が二十歳位の頃、ブラームスのピアノ協奏曲の一番にはまっていた事があった。あれも、青春の香りがぷんぷんする曲だったなあ。最近はご無沙汰しているけれど・・。

ブラームスのピアノ曲に関しては、個人的には作品番号が100を超えた、晩年の曲が特別素晴らしいと思う。116,117,118,119。そして更に、作品120の二つのクラリネット・ソナタ!

このあたりの曲は、変な言い方だが「ブラームスさん、よくぞ曲を残して下さいました」と、お礼を言いたくなる程、感動的だ。

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