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2007年8月25日 (土)

マラトン

美しいミコノス島からアテネに戻る日、私達の乗ったタクシーの運転手さんは、さかんに携帯電話でなにやら連絡を取っていた。体格も人もよさそうなその人は、ちょうど学校帰りの中学生達が連なって歩いてくる一角に、車を止めた。

すると、一人の女の子が皆に「じゃあね・・」という風に手をふると、タクシーの前のドアを開けて普通に助手席に乗ってきたのだ。そして、運転手と親しげに話をしている・・。

事情が飲み込めるまでに時間がかかったけど、一応「あなたの娘さん?」と尋ねてみたら、英語の堪能そうな運転手さんは「ヤー」と肯定するのみである。

その後、助手席に人が乗っているタクシーを止めて新たに乗リ込む乗客、というのをアテネの街で何度か目にした。タクシーの助手席は、プライベート使用なのだろうか・・。

アテネで少し時間があったので、「地球の歩き方」というガイドブックを頼りに、マラトン行きのバス乗り場へ向かった。

本によれば、マラソンの故事の由来になった古戦場跡があるマラトン村の、側を通るバスが、1時間に1本出ているという事であった。

年に一回、フルマラソンに参加するのがここ十年くらいの趣味にしている同行の家族に付き合って、とにかくその路線バスに乗った。

乗る前運転手さんに、「マラトン?」と尋ねて、そこで降りる意思を伝えておいたお陰で、場所に着いたら教えてくれたまでは良かったが・・・。

降り立った場所は、道の両側に、それぞれの方向行きのバス亭のポールが立っているだけの、何もない原っぱであった。

運転手さんが、指差した方向へ歩き出してみたものの、人にも出会わず案内等探すべくもない。そのうち農家が一軒みえたが、私達を見て犬が吠え出したので、男のひとが姿を現した。

「マラトンへいきたいのだけど、こちらで良いだろうか・・?」と訊いてみたところ、言葉は通じなかったが、マラトンの言葉に頷きながら私達の歩く方向を指し示してくれた。

意を強くして暫く歩いていくと、公園が見えてきた。馬に乗った将軍の像もあって、事務所のような小さな建物が見えた。

中に居た若い女性が、公園の管理事務所で仕事をしているらしく、「マラソンの発祥の場所はここですか・・?」と尋ねると、「ここは戦勝記念公園です。アテネオリンピックの時のマラソン競技の始点は、ここからは大分先にあります。」という。

マラソンの故事の場所を見に来たのだ、と重ねて言うと、「ああ、戦争の勝利を報告する為にアテネまで走った故事ね・・・」

「今バスでアテネから来たのだけど、あの道を走ったのだろうか。それとも後に見える、小高い丘を超えて、アテネまで行ったのだろうか・・。」と更に聞いてみたら、

「確かに、あちらがアテネの方向だけど、2000年以上も昔の事ですものねえ・・・。誰にもわかりませんね・・・。」

「フー・ノウズ・・・」といってその若い女性は、笑いながら両手を広げて肩をすくめた。

私達に分かった事は、ギリシャの人達にとって、「マラトン」とは、ペルシャ戦争で相手の大軍を撃破して勝利に導いた、その記念の場所として有名なのだ、という事であった。

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2007年8月16日 (木)

ディロス島

ミコノスタウンは、建物ばかりか道路にも白いペンキが塗られていて、真っ白な街並みには、ブーゲンビリアの濃いピンクやオレンジ色の花が咲き乱れ、視線を上げれば、周り一面は紺碧のエーゲ海で、まるで絵本の中にピョンと紛れ込んだ気分であった。

道端や海岸には、人慣れしたペリカンがひょこひょこ歩いていたり、洗練された雰囲気のゲイのカップルが歩いていたり、ちょっと不思議な街だった。

小旅行からホテルに戻ってみると、留守中に荷物が本来の大きなホテルの方に運ばれていて、それから後は、物事がスムーズになった。しかし、後から着いたアメリカからの夫人達は、すっかりコテージが気に入ったそうで、暫くはそちらに滞在していたらしい。まさに、お気に召すまま、である。

お詫びの気持ちだったのだろうか、部屋にはフルーツが山積みされた大皿とワインの壜が置かれてあったが、ことさら説明はなかった。

翌日は、アポロが生まれたという伝説の島、ディロス島へのクルージングであった。「日陰になる物もないし、食べ物を供給する場所もないので、対策怠りなく」という知らせが入る。大皿から林檎を数個持参した。

説明書によると、島全体が博物館の様な扱いで、夕方になると島を閉じてしまって宿泊はできないし、月曜日にも島を閉じるのだそうである。

さすが、ギリシャの遺跡で、色々な説明も楽しかった。多分ガイドのおじさんの英語が分かり易かった為だろうと思うが・・。

クレオパトラの家の跡、と言うのがあったので、思わず「クレオパトラ?」と聞きかえしてしまった。

「そうです。クレオパトラという名はよくある名前なのです。あのクレオパトラは、エジプトの女王だし、時代も違うからね・・・。」

海外に行くと、周りの人々の体格が立派な為か、無意識のうちに気分が若やいで、というか気分が開放されて、子供返りしてしまう傾向がある。言葉の幼さが、主な理由だろうか・・。

最後に、博物館の建物へ行って、島で発掘されたライオンの像のレプリカを見た。有名なものらしい。誰かが「これらは全部、雌のライオンなのかしら・・・?」と質問した。確かにどのライオンにもタテガミは見られない。

ガイドのおじさんは、意表をつかれた、という風で答えに窮している様子だった。さぞかし紀元前のギリシャの人々にとっては、ライオンなんて、見た事もないだろうし、もしかしたら麒麟の様に、想像上の存在だったのかも知れない。

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時の過ぎ行くままに

数年前、ギリシャのミコノス島を訪れる機会に恵まれた。家族の仕事のお供で、先ずパリ経由でアテネまで行き、その晩は空港に隣接するホテルに一泊した。

アテネに着いたのは夜10時頃だったが、飛行機からは夜空に、ちょっと花火の様な不定期に発する閃光の輝きが度々見えて、旅情を誘った。

あとで、それは当地では珍しい雷で、ギリシャでは「雷」という言葉は、ゼウスの怒りという意味を表すのだと知ったのだが・・・。

翌日、小型機に乗ってミコノス島に着くと、出迎えてくれたギリシャ側のスタッフは、ニコニコと歓迎してくれた。

が、連れて行ってくれた先は、今回のミーティング会場にもなっていて、あらかじめ予約してあったホテルからははるか離れた、島の反対側の海岸沿いに建ったコテージであった。

前日が異例の天候で海が荒れた為に、予約していたホテルではチェックアウトする筈の人々が出発できず、部屋が不足しているのだ、とは後からの説明であった。

とりあえず部屋に落ち着いた私は、素敵なコテージから見えるエーゲ海の景色に目を奪われて、暫くの間コテージの立ち並ぶ周辺を散歩して回った。

ミコノス島は、観光地だからなのだろう。点在する家という家が、真っ白な直方体の壁に紺青色の鎧戸と言う風にカラーが統一されていて、所々に見える小さな小さなチャペルは、サイロの様な形で、やはり白い壁に屋根は小豆色であった。

ギリシャ正教のそれらのチャペルは、それぞれの家の個人の礼拝堂なのだそうである。日本のお仏壇の様な位置づけなのだろうか。

コテージから眺められる夕日や朝焼けは、その日の天候に左右されたのだろうが、それはそれは感動的なものだった。様々な場所で、「黄金の夕日」とか、「100万ドルの夕日」等と銘打っているが、結局は天候次第なのではないだろうか、と思われる程であった・・。

後ほど、連絡バスで本来のホテルに案内された私達は、そこであった歓迎パーティーに出席して、先ずはほっとしたのだが。

翌朝、同伴者小旅行にサインナップした、私達コテージ組の三人の夫人達を、連れて行ってくれたのは言葉の通じないホテルのバス運転手であった。

が、行き着いたのが、前日ホテルで指示された集合場所ではなくて、船乗り場の様な閑散とした所だったので、私達は、戸惑いというよりも不安を感じずにはいられなかった。

予定の時間になっても誰一人現れる訳でもなく、唯一の頼りは今回の新顔ではあるものの、母国語が英語であるカナダから来たお仲間なのであったが・・。

待ちくたびれた私達が、思い余って旅行会社に助けを求めた頃、やおら見知った顔ぶれが乗っっている貸切バスが到着した。

後で聞いたところによると、私達三人を待っていた為に、ホテルの出発時間を大幅に遅らせたらしい・・。

そこは、一番の観光地ミコノスタウンの港場だったのだ。合流した私達は、その日、ガイドブック等で見覚えのある、丘の上に風車の並ぶ、有名なミコノスの街を見物することになっていた。

幹事役を担ってくれた夫人は、「今日は計画が替わって、ガイドさんが引率するツァーではなく、それぞれ自由に街を歩き回ることになりました。ホテルへ戻る連絡バスは、ここを午後三時に出発します。」

さすが個人主義のヨーロッパだなあ、と感心していた私は、ドイツから来た夫人の、「ガイドさんが来なくて、自分達で歩くだけならば、今日の参加費の7ユーロは何のための費用だったのかしらね・・・?」という見解にも、又感心してしまった。

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