コンスタンツから、対岸にあるメーアスブルグへ行くには、30分位船に乗っただろうか・・・。夏も終わりに近かったが、湖の辺は涼しい風が吹いていて、坂道の多いメーアスブルグの街を歩くには、最適な陽気であった。
街を少し行くと銀行があって、「ホテルで換金するより、ここの方がお得です・・」とS夫人の案内がある。まだユーロが導入される以前であった。
小さな街であったが、歴史的な名所がたくさんあり、新しい場所としても、有名らしい女流詩人の住んでいた館であるとか、ツェッペリンの小さな博物館もあった様に思う。
ニューヨーク生まれという、唯一の同胞であるK夫人と共に、夫人達の名簿を片手にしながら、お仲間の人々とおしゃべりを続ける。あとで「オランダからいらしてた、と言ってたから、この方ね」等と、復習しながら・・。
欧米の人々は、相手の名前をしっかり憶えて、会話の中でさり気なく口にするのだ。
メンバーが中高年の人達だったからか、ランチにワインという雰囲気がまるでなかったのには、ちょっとびっくり。顔ぶれによるのだろうが、大体注文しているのはお水であった。いささかカルチャーショックではあった。
S夫人が、各テーブルをまわりながら、雑談風にメニューの説明をしてくれる。「どうして、そんなに詳しいのですか?」と尋ねてみたら、「I was born on the lake 」と言っていた。美しい夫人の少女時代が目に見える様だった。
「午後からは、自由行動にします。3時に時計塔の下 で待ち合わせましょう。」 古くからのメンバーであるK夫人は知人も多いので、私はいつもの様に1人でお店等を覗いてみたりした。小さな街だから、何処に入っても顔見知りの人に出会うのだが・・。
時計搭に集まった頃には、色の白い欧米の人達は真っ赤に日焼けしている人も多い。美しい宮殿に案内してくれたS夫人から、「この中には美術館もあるのだけど、皆で行くのはちょっとハードスケジュールだから、行きたい方だけ個人的にどうぞ・・。」と案内がある。
私が最年少かとも思われる奥方達の集団だから、当然「どこかに座りたいわね。」と道端にあるオープンカフェに向かう。「良い日光浴だわ・・。」と言いながら好んで陽のさす場所を探す様子が、私には新鮮である。
メニューを見て、ドイツやスイスの人に尋ねながら注文しているお仲間に続いて、私がスラスラとメニューを読みながら注文したら、皆が驚いて拍手してくれた。昔、ウィーンに住んでいたとは、とても言い出せなくなってしまった。
何となくおしゃべりしているうちに、「そろそろ、行きましょうか・・。」という声がかかり、皆に付いて歩いていくと、そこには仕事を終えたご主人たちがぞろぞろとやってきたのだ。
大勢が連れ立って近くのワイナリーへ行き、色々な説明を聞いた。殆ど分からなかった私が、退屈そうに見えたのだろうか。「日本にも輸出していますよ。」と、わざわざ話かけてくれた気遣いは、ちょっと嬉しかった。
試飲もさせてくれたが、木の長いテーブルを囲んですわり、たくさんのグラスに色々なワインを注いでくれて、それはもう、早くもワインパーティーの様相だった。
ドイツにしては珍しく、赤ワインがたくさん出てきた。前にすわっていたフランスの夫人は、ちょっと口に合わないといった表情に見えたけれど・・。
帰りがけに私は、以前から探していた栓抜きを見つけ、嬉しくなって買い求めた。今でもそれを愛用しているのだが、使う度に、買い物をして居る間、皆さんをお待たせしてしまったなあ、とドジな自分を思い出してしまう・・。
湖岸に着くと、船が私達を待っていて、その晩は船上ディナーであったのだ。アメリカ風の明るいバンドの生演奏が続いて、お食事が終わると、先ずS夫妻が音楽に合わせてダンスを始めた。
次にS氏は、会長の夫人に手を差し伸べた。優しそうなフランスのおばあちゃま、といった様子の夫人は、先ほどジーンズショップで見かけた時に、試着していた洋服を身につけて、若々しいいでたちで立ち上がった。
次にS氏はアメリカから来ている若いお嬢さんを誘い、その頃には、他の人達も次々と踊り始めた。同じテーブルにいらしたK氏が、「日本にも、ああいう”おっさん”が、1人居るとなあ・・」とつぶやいてるのが聞こえた。日本大会誘致に、努力していらした頃だったのだ。
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