2008年5月13日 (火)

作曲家の自画像

シューマンの代表作の一つに、「謝肉祭」という名曲がある。

「謝肉祭(カーニヴァル)」は、現在では宗教的な意味合いがうすれて、パレードや仮装行列など、「観光行事」となっている処も少なくないが、もともとはカトリック教会の「宗教行事」の一つだったのだそうである。

「四旬節」という復活祭の六週間前から続く節制期間に備えて、全ての肉類を食べつくして羽目をはずして大騒ぎするのだそうだ。

ラテン語の「carne  vale 肉よさらば」というのが、カーニヴァルの語源だそうである。

という訳で、この20曲の小品からなる「謝肉祭」もピエロが出てきたり、パンタロンとコロンビーヌというコンビの道化師(?)が出てきたり、楽しげな題名が連なっている。

そして、中には後に妻となったクララや、初恋の相手、ショパンやパガニーニといった有名な音楽家、更にシューマン自身の内向的な分身と外交的な分身も現れる。

内向的な分身像の「オイゼビウス」を、アップしてみました。

「シューマンの素顔」(演奏時間約1分半)

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音源をアップする事が出来る様になった記念に、昨年書いたブログに関連する曲を、アンコールで弾いた演奏で、貼り付けてみます。

バッハ作曲・平均律第1番プレリュード

「バッハ・前奏曲」(演奏時間約2分強)

二週間程前、私はピアノリサイタルでバッハのパルティータを弾いた。シューマンの「謝肉祭」ショパンの「24のプレリュード」と続けて、アンコールにはバッハの平均率1番のプレリュードを弾いた。

グノーが、旋律をつけて「アヴェ・マリア」を作曲した、有名な曲である。演奏会の数日前に、この曲を弾く事にした時、私は教会のイメージで弾ければ、と思った。

まず思い浮かんだのは、数年前に訪れたポルトガルの漁村ナザレ。ケーブルカーで上って行った、奇跡があったと伝えられる、丘の上に建つ人里離れた教会。

そして、次に思い浮かんだのは、30年前に北イタリアのボルツァーノで開催された、ブゾーニ・国際コンlクールに私が参加している最中、東京の留守宅で父が急逝した、その時の情景だった。

あの時私は、長い間川岸のベンチにすわって、道行く人々を眺めていた。そして、私の中で父を忘れ去らない限り、私の中の父は生き続けているのだ、と自分自身に言い聞かせていた。

人生に別れはつきものなのだ。還暦を目の前にして逝った父とは、早すぎる別れではあるけれど、遅かれ早かれ別れとは、やってくるものなのだ・・。

バッハのプレリュードをを弾きながら、私は、一体父は今何処に居るのだろう、という理不尽な思いに捉えられた。

昨年リサイタルした時は、数ヶ月前に亡くなった親しい従妹の思いがずーっとあって、アンコールのショパンのノクターンは、彼女と会話している気持ちで弾いたのだった。

あの頃は、練習している時いつも、ピアノの側には彼女が居てくれる気分であった。

バッハを弾きながら、私は今まで父を悼んだ事があったのだろうか、とハタと思い巡らせた。異国でコンクールの最中に訃報聞いた時、私はあえて悲しみを直視せずに、周りの人々に迷惑をかけたりせず、取り乱したりせずに、とそのことに全勢力を傾けた様な気がする。

「実感がわかない、というのは残された者には、慰めにもなり救いである」という言葉にも甘えていた様に思う。

そして、それからずっと、現実を直視せず父の不在にもいつしか慣れて、今日まで来てしまった事に、今、突然気づいたのであった。

今回のバッハは、私が初めて亡き父に語りかけた悲しみの言葉だった様に思う。

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2008年5月12日 (月)

連休も終わり・・。

今年の連休は、私の勤務曜日を避けて通っていった印象だったけれど、思いの他娘が長く名古屋に滞在した為、お休み気分は充分味わう事ができた。

そして、昨日娘が帰京して、我が家の連休も終わってしまった。

今日は、週一回の車で出勤する日。

運転を復活させてから、今年で4年目になるのだが未だに、家にたどり着くまで気が重い。

とはいえ、若い学生さん達の相手をするというのは、いつも新鮮で何とも楽しい。

色々な可能性を持つ若さは、眩しい程である。

こちらは、経験値を最大の頼りにして相手をしているつもりなのだけれど、ちょっとした言葉などがきっかけで、目を見張る様な変化を見せてくれる学生さん達を前にすると、新しく経験を積んでいるのはこちらなのだ、といつも思う。

「目から鱗」の場合も、勿論ある。

彼らの弾く曲を、自分自身で久々に紐解いてみて、時間の経過と共にその曲のもつ新しい面に気づかされる事も、度々ある。

曲に対するアプローチも人それぞれで、横で眺めているとこれも実に楽しい。

只、教育の場は、どうしてもこちらが一方的に意見を述べてしまい、独善的になりがちなので、このあたりのバランスが最も難しいところだろう・・・。

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2008年5月11日 (日)

前奏曲

連休中、娘が暫く我が家に滞在していたので、ネット関連で、色々教えて貰った。

まず、パソコンを新しくした事もあり、音源をブログにアップする方法をマニュアル化。「演奏ブログ」も復活できそうで、還暦の道楽がいよいよ佳境に入ってきた。

今回は、昨年のリサイタルで最初に弾いた、バッハ・パルティータⅠ番から「前奏曲」を試しにアップしてみます。

ライブなので多少の傷がありますが、久々という事でお聴き頂ければ嬉しく思います。

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2008年5月 7日 (水)

穏やかな休暇

娘が、ゴールデンウィークと共に東京からやってきた。

名古屋は、娘にとって故郷ではないのだが、やはり実家のある場所へは、「帰る」という気分になるらしい。

娘が加わって、お休みらしい気分が、一挙に我が家を占拠した。

娘が高校生の頃から、お休みが始まると、連れ立って映画を見に行くというのが、楽しみの一つになっている。

今回は、私が東京での仕事を終えて後、娘と待ち合わせて戻ってきたのだが、新幹線まで数時間暇があったので、まず池袋で「つぐない」を、これは一人で見た。

見終わっての感想として、「つぐない」という題名の邦訳には、強い違和感を覚えた。

オリジナルの”Atonement"という単語を知っていた訳ではないけれど、余りにも救いの無いあの結末を考えると、「贖罪」とすべきであったろうと思う。

前半の舞台は美しい英国の館や庭園で、きらびやかなヒロイン達の貴族的な生活が芸術的な音響効果で描かれていて素晴らしかったし。

後の、全ての不幸の原因となった「嘘」を証言する、多感な少女の演技も素晴らしかったけれど。

名古屋では、娘と一緒に「ジェーン・オースティンの読書会」を見た。

これは、楽しかった。こんな読書会があったら、参加してみたい気分である。

以前東京に住んでいた頃、数人の友人達と「ヒコーカイ・クラブ」というのを結成していたのを、懐かしく思い出した。

これは、同じ曲を弾き比べる訳ではないけれど、毎回必ず何か一曲は演奏するという取り決めの、勉強会であった。

月に一回位のペースで、スタジオを借りて集まったものだった。

年間通して、大曲を少しずつ仕上げていく人も居たし、本番前のリハーサルとして弾く人も居た。

仲間同士の気安さで、お互いに言いたい事を批評しあって、終わってからは美味しいものを食べて解散した、あの会はなかなか貴重な存在であった。

アメリカに住んでいた頃にも、「ピアノ」というクラブに参加していた。

それは、婦人会の中にあったクラブのひとつで、やはり月に一度集まっては、お茶を飲みながら暫くおしゃべりした後、何人かの人がピアノを弾くという、楽しいグループだった。

各会員が持ち回りで自宅を開放していたのは、映画の内容と似ている。

これは小さな街で大きな家に住む、アメリカの社会だからこそ成立したのだろう。

現在もこんな風に、又どこかで勉強会に参加できないものかと、アンテナをはってはいるのだけれど・・・。

いざ、探そうと思うと実に難しい。

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2008年4月30日 (水)

還暦の道楽

数日前に、「youtube]というサイトを教えて貰って、すぐにはまってしまった。

システムはイマイチ分からないのだが、とりあえずアクセスした先が、実に素晴らしかったのだ。

リヒテルの演奏した、プロコフィエフの7番のソナタのCDを、暫く前から探していたのだが、試しにここでアクセスしてみたところ・・。

リヒテルの演奏こそ音源だけだったが、7番のソナタ繋がりで、アルゲリッチの演奏、ベレゾフスキー、ソコロフ、その他アジア系の少年や少女の演奏などが、次々と映像付きで現れたのには、文字通り仰天してしまった。

そこから更に、ホロヴィッツやアルゲリッチの、時にピアノを弾きながらのインタビューや、若かった日々の演奏の映像。

次々と、こんなに数多くのピアニスト達の手の様子を眺めたのは、初体験であった。

一番インパクトが大きかったのは、ピアニスト達の手の大きさ!

羨ましいを通り越して、まるで別世界を眺めている気分であった・・・。

ソコロフが、16歳でチャイコフスキー・コンクールに優勝して話題になったのを、よく憶えている。確か、私と同じ年齢だったと思う。

この人の三楽章の映像は、まさに衝撃的であった。

まず、すっかり年齢を重ねた姿には、同じ人とは思えない変貌があって、自分の年齢も考えさせられたし・・。

そして、あの揺らぎの無い連打和音の壮絶感。

きっとあの曲を、ソコロフは人生で、何百回いや何千回という回数、舞台で重ねて弾いてきたのではないかしら。

天才が、「継続は力なり」という言葉を、ここまで高みに引き上げてしまった、その事に対する衝撃、であったのかもしれない。

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2008年4月15日 (火)

美術館

若い友人が教えてくれた青山ユニマット美術館へ行った。印象派画家たちの企画展もあったし、シャガールの常設展があるというのも魅力的だった。

この美術館は、余り周知されていないのかもしれない・・。人々も適度にまばらだったし、広すぎない静かな空間が、ゆっくり絵を眺める環境をかもし出していた。

私は今回、藤田嗣治のバラをさした花瓶の絵と、デュフィの婦人像が印象に残った。

藤田嗣治のこの絵は、以前箱根の美術館で見た気がする。気に入って絵葉書を数枚購入したので記憶に残っている。

改めて眺めると、花瓶の質感の様なものが見る者に迫ってくる。陶器のちょっとしたざらつきとか、重さとかが感じられてくるのだ。

デュフィは、音楽家の絵をたくさん描いているらしく、「モーツアルト」は友人の「バルトークに見えた」という表現を思い出して、納得した。

その手前に飾られていた、婦人像。題名は憶えていないのだが、ずっしりとした中年のその婦人のたたずまいが、何ともいえないリアリティーを持って語りかけてきた。

その婦人が送っている生活や思いが、想像できる様な座り方とちょっと不機嫌そうな表情。背景は「明るい青」只一色。デュフィの壮年期の作品だと思われる。

個人的には、それぞれの画家達の作品を年代順に並べてあればより楽しめたかな、と思う。何度も、製作年月を確認するために、沢山の絵の前を行きつ戻りつしてしまったから・・。

キースリングは、今までにも色々な場所で目にはしていたが、今回初めてポーランド出身の画家である事を知った。いざそういう目で、1945年作の若い女性の像を眺めると、その女性の寂しげな表情の前から、私は離れられなくなってしまった。

あの表情は、第二次世界大戦をめぐるヨーロッパの歴史と文化を背負っているかのようで、暫くの間、様々な思いが私の前を通り過ぎて行ったのだった・・。

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2008年4月 9日 (水)

ブーゲンビリヤ

ブーゲンビリヤの鉢を贈ってくれた人が居た。あの赤紫が一番好きな色、と何かで私が言っていたのを、覚えていてくれたのだ。

丁度今のマンションに越したばかりの頃で、真新しい簡素なヴェランダにとてもよく映えた。それが、三年前の春。

私は、ヴェランダ中をこの色で埋め尽くしたい位に気に入ってしまったのだが、毎週上京して留守がちな我が家としては、二鉢お花屋さんから買い求めて来て、仲間に入れた程度で満足して、何度かの盛衰を楽しんだ。

お花に関して無知な私も、ブーゲンビリヤには何となく執着してせっせと水遣りに励んだのだが、やはりヴェランダでの冬越えは難しい様であった・・。

ブーゲンビリヤをプレゼントされた秋、私はギリシャのミコノス島を訪れた。

エーゲ海に浮かぶこの島には、白亜の家々が立ち並び、道端には様々な色の花をつけたブーゲンビリアの木々が溢れていて、まるで絵本の世界の様であった。

何年か前に旅行したポルトガルにも、この木が家々の白壁を彩どっていた事を思い起こすと、どうやらこの木は地中海あたりの乾燥した地の植物であるらしい。

あれから、春になると毎年新しく買い求める我が家の鉢達も、私が仕事で不在の日が続いて帰宅すると、思いのほかたくさんの蕾を大きく膨らませていたりする・・。

二年前の秋、主人と1週間程海外に出かけて帰宅した時等、ヴェランダの一角があの赤紫色で占められていて、感動した。

昨年ヴァージョンの三鉢は、最初から少し大きめの鉢に植え替えた為か、枝がどんどん成長して花の数は余り多くは無かったが、葉っぱはいつまでも残っていて、とうとう暖かかったこの冬を乗り越えたのだ。

まるで、昔読んだO・ヘンリーの「最後の一葉」の様に、主人と残り少なくなった葉っぱの行方を、毎朝眺めていたのだが。

ある日、葉っぱの数がどうも減った様だな、と思ってみていたら、普段は植木鉢には手を出さない主人が、ちょっと出来心で水を注いだらしい。

ブーゲンビリヤは、乾燥した土地の木だから水は嫌いなのだろう、と私達はそれから暫くそっとしていたのだが・・。

昨日の朝、「芽が出てきたよ・・。」という主人の一声!

眼鏡をかけてヴェランダに出てみると、1.5メートル位に伸びた数本の枝の節々に、緑とも茶ともつかない彩りの、小さな葉っぱ達が沢山息づいていたのだった。

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2008年4月 8日 (火)

桜に埋まる・・。

今年ほど、お花見に恵まれた年は無かったと思う。

何故か、今年は満開が名古屋より東京のほうが早かった。

3月29日の誕生日に合わせて娘の住む中目黒に行くと、駅は何事が起きたのかと思うほどの人でごったがえしていた。

近くの目黒川沿いが、桜の名所なのだった。夕食に出かける途中に通りがかったのだが、川べりのしだれ桜は確かに風情があった。

4月に入ってからは名古屋が満開だというので、昨年に引き続き、有名な山崎川沿いを二時間位歩いた。さすがにこの日は疲れたけれど、充実感は味わった。

4月4日は勤務している東京の音大の初日だった為上京。名古屋から東京まで、新幹線沿線は、あらゆる処がピンク色に染まっていた。

この週末はお天気がよかったので、平和公園の山道を歩いてきた。広大な敷地内には公営の墓地もあるし、近くには東山動植物園もあって、もちろん一帯は桜で染まっていた。

最近は、自然の中を散歩したり山歩きをしている、私達と同年輩から少し上の人々をたくさん見かける。

昨年は、「2007年問題」、とまで言われた我々団塊の世代が退職を迎えた年である。

スニーカー・ミドルと揶揄されるくらい、気持ちの若い我々世代が、いよいよ余暇を得たとなれば、家にじっとしている訳は無い。

外で、何をするか・・。

桜に、圧倒されている様じゃなあ・・・。

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2008年4月 1日 (火)

マ・メール・ロワ

先日原宿で、友人の、ピアノデュオのコンサートがあった。

モーツアルトのソナタから始まって、シューベルトの「人生の嵐」と続き、最後がラヴェルの「マ・メール・ロワ」

還暦を迎えた二人の演奏会は、会場全体が 落ち着いた上品さに包まれて、幕間にもてなされたワインと共に、文化の香りのする、文字通りの「サロンコンサート」であった。

個人的には、シューベルトが一番印象深かった。

最晩年に作曲されたこの曲を、「還暦記念」まで大切にしてきたという、お話の通り、お二人の積み重ねてきた人生が窺われる素晴らしい内容の演奏だった。

一方、ピアノの連弾曲としてみれば、私は「マ・メール・ロワ」を凌ぐ曲を知らない。

作曲家自身が編曲したオーケストラ・ヴァージョンも華麗で色彩豊かで素晴らしいけれど、やはりオリジナルの、素朴な音の中に描かれる、お伽の国の世界は「ラヴェルの天才に脱帽!」である。

最近、若い友人と戯れに時々弾いて楽しんでいるのだが、ピアノだけで、こんなにも様々な音色が湧き出てくるものなのか、合わせているといつも感動してしまう。

一人で、自分のパートを弾いている時には想像もつかない、1+1だった筈が、星空の天文学的数字と化してしまう、妙なる驚き・・。

第一曲目:「眠りの森の美女のパヴァーヌ」。

ちょっと悲しげに、静かな森が囁きかけてくると、遠くから美女の優しい声が聞える。

第二曲目:「おやゆび小僧」。

さわさわと森の木々が揺れる中を、おやゆび小僧が寂しくとぼとぼと歩いていく。静かな森は、小鳥たちの鳴く声だけが聞えて、寂しさをつのらせるし、帰りの目印に落としたパンくずは、小鳥たちについばまれてしまう始末だ。

第三曲目:「パゴダの女王レドロネット」。

パゴダとは、マイセン陶器の東洋風人形をさすらしい・・。この曲は、西洋人から見た東洋の世界であるが、私たちが聴いてもやはり異国情緒が感じられて、これは逆輸入の異国感覚かも知れない。

陶器の人形たちが踊りだす情景が思い浮かべられる、透明でカチャカチャした音形が、何とも優雅で可愛らしい。

第四曲目:「美女と野獣の対話」

淡々とした童話的なワルツの始まりからは想像もつかない結末。魔法にかけられた野獣が、謎に包まれた不気味な魅力を発揮しながら、美女の信頼と愛を勝ち得ていく、その流れの前衛的な響き!

第五曲目:「妖精の国」

長い序曲は、妖精の国への長い道のりの様にも感じられる。そして待った甲斐があった、と思わせる様なキラキラ輝く旋律は、オーケストラ版ではヴァイオリンのソロで、この上なく美しい世界をたっぷり聴かせる。

一方ピアノオリジナルでは、アルペジオで上っていく高音の連なりで、クリスタルの様な響きをちりばめていく。

この、二つの楽器の音色の違いを、心憎いばかりに際立たせている「ラヴェルの天才に脱帽!」である。

最後は、高音のグリッサンドが上下して、妖精たちが魔法の粉を振りまきながら、あたりを七色いっぱいに染め上げて曲は終わる。

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2008年3月17日 (月)

バラード第一番・ト短調

ショパンがこの曲を作曲したのは、20代前半であり、考えてみれば私は彼の母親の様な年齢なのだ。

ショパンの言葉が、とても親しみを感じて聞こえてくる様になったのは、私が年齢を重ねていったからだろうか。

不幸な祖国の歴史を背負い、遠く異郷で短い人生を終えた、「ピアノの詩人」が、いつの頃からか、久々に母親を訪ねて来て静かに語りかけてくれる、息子の様な存在に変化してきたのだった。

バックグラウンドが違う息子の言葉は、難しくてさっぱり意味がわからないわ、といった曲も多々あるのだけれど・・。

そこで、ト短調のバラード。

まず最初、両手のユニゾンで上っていくイントロは、「シューマンの”胡蝶”を聴いて、印象に残ったんじゃない?」と、問いかけてみたくなる。

「でも、底に流れる気持はベートーヴェンの熱情ソナタかな・・?」と、付け加えてもみたい。

短い前奏が、第一主題に入ってト短調に落ち着くと、彼は切ない気持を、様々な言葉で伝えてくる。もし私が若い女性ならば、それは愛のささやきに聞こえたかも知れない・・。

年齢を重ねるのは楽しい事だ。今の私は、当事者としてではなく、客観的な立場で、ショパンの言葉に耳を傾けていく。

そして、変ホ長調の第二主題に入ると、彼の言葉は聞き取り難い程に、内面へと深く入って行って、こちらは為す術もなく、只黙って聞き入るばかりだ。

ショパンの独白は、解釈豊かな音楽で語り続けるから、深いにもかかわらず包容力があり、知らぬ間にこちらも静かに共鳴してしまうのだ。

高い音域の和音で第二主題を展開させる、最初のクライマックスでは、ショパンの若々しい情熱がほとばしり出る様で、もはや個々に語りかける口調は姿を消していく。

そのあたりからコーダへ向かって、怒濤の様な動きが、次々と変化して顕れる長い場面は、まるで素晴らしい即興演奏を聴き続けているような興奮の渦へと、私を巻き込んで行く。

何百回、何千回、聴いてもだ。

弾く事は、すなわち聴く事でもある訳だが、演奏者自身に与えられたこの快感と興奮に、勝るものは無いとさえ思う。

たとえホロヴィッツの演奏を、聴いてもだ。

いやいや、もし目の前で彼の演奏を聴く事ができれば、その興奮にはさすがに脱帽だろうけれど。

「諸君、脱帽したまえ。天才だ!」

シューマンが、ショパンを見いだした時の有名な言葉だが、この翻訳は、リアルで詩情に溢れていて、ちょっと忘れられない。

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2008年3月 5日 (水)

モジリアーニ

先日、日経新聞に「モジリアーニ」に関する特集の記事が出ていて、思い出したのだが・・。

高校を卒業してしばらくしたある日、同じ大学に進学したクラスメイトと一緒に、担任の先生のお宅へ遊びに行った事がある。

英語の先生で怖かったのだが、型にはまらない授業は面白かったし、かなり個性的な先生だった。

ある時放課後に、「このレコード、聴いたことあるか・・?」と、タイプしたメモ用紙を下さった.事がある。

見ると、ベネディット・ミケランジェリの演奏したブラームス作曲「パガニーニ変奏曲」。

不思議な事にその曲は、翌年の日本音楽コンクールの課題に出て、私自身散々悪戦苦闘する羽目になる難曲なのだが、普段から生徒に応じて、そういった様々な発信を送って下さる先生であった。

英語の授業の副読本に、フォークナーの短編集を使用したり、高校生だった私達の世界を、多少なりとも広げて下さったのだと思う。

その先生のお宅で、とりとめもなく話をしている時に、モジリアーニの絵の事に話題が移ってゆき、「そういえばお前、モジリアーニの絵に似ているな」とおっしゃったのだ。

何気ない一言にすぎないのだが、言われた方は、それからモジリアーニが他人とは思えなくなってしまった・・。

モジリアーニに限らず、自分の作風を確立していくまでの、作家達の情熱には、還暦になった現在でも、感動的なものを感じてしまう。

昨日観た、勘三郎、柄本明、小泉今日子が出演していた映画「てれすこ」にも、そういった感動があった。

勘三郎を観ていると、彼自身の情熱にも打たれるけれど、仲間が又素晴らしい。

柄本明は、一体いつの頃から名前を知ったのか思い出せない位、地味な感じの役者さんだけれど、あの独自の世界は、体中にその役の人物が染み渡って、もはや一滴たりとも素の柄本明は存在しないかの様だ。

私は、モジリアーニやユトリロ、ドビュッシーなどに出会うと、余りにもフランス文化が自分から遠い存在に感じられて、疎外感すら抱いてしまう事がある。

一度どっぷりと、お湯に浸かったかのごとく、「フランス」という怪物が、じわじわと自分の体の中にしみ込んでくるまでに、素の自分が無くなるまでに、のめり込んでいけたらと思うのだが・・。

もし、フランス音楽を表現するならば、どこまで自分をフランス化できるかが勝負だろう。

近々、六本木の国立新美術館で「モジリアーニ展が」あるらしい。とりあえずは、そこでしばしフランス文化に浸かってこよう。

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2008年3月 1日 (土)

贈り物

娘が私に贈ってくれた最高のプレゼントは、インターネットの世界だ。

老後の楽しみにと、このブログを立ち上げてくれた上に、面白そうなサイトをいくつか教えてくれたのだ。

その中で現在私が、毎日アクセスするのは「ほぼ日刊イトイ新聞」。タイトルを聞いただけで、好奇心が湧いた。

以前、宮崎駿の「魔女の宅急便」のビデオを観ていたら、最期に監督と糸井重里の対談が出てきた。詳細はよく憶えていないのだけれど、その時の、糸井重里氏の尋ねた質問の面白さ。

「女の子が箒に乗って飛ぶシーンは、箒にも浮力がかかってるんですかねえ。そうじゃないと、上に乗っている女の子のバランスが崩れて、傾いてしまうんじゃないかな・・。」

「魔女の宅急便」は、アニメである。これは、アニメの画像の表現に対する質問なのだ。こんな風に、もの事をニュウトラルに眺めて、面白がる人生って楽しいだろうな、と大げさに言えば私は心をゆさぶられたのだ。

で、彼の本でも探してみようと思ったときに、娘がこの「ほぼ日刊イトイ新聞」のサイトを教えてくれて、それ以来すっかりはまってしまった。

毎日更新する糸井さんのコラムが、翌日になると読めなくなるのも、潔い。

毎日掲載される様々なメニューを、今バックナンバーで拾っていくと、糸井重里氏のお仲間達のバラエティーに富んだ顔ぶれの面白さにも度肝をぬかれる。

私が、いつかどこかの場で、気になったり、強く印象に残ったり、あるいはファンであったりした人々は、殆ど網羅しているかの様だ。年齢が近い事もあるだろうけれど・・。

宮崎駿から始まって、谷川俊太郎、タモリに山下洋輔。清水ミチコに矢野顕子や坂本龍一。赤瀬川原平に南伸坊。橋本治に大橋歩と、まだまだ奥は深そうだ。

昨日は、「ガンジーさん」というニックネームの付いた、末期癌を抱えている男性とのメールの交換記録に出会った。

「ミーちゃんの縁側」というお気に入りコラムもある。80代からのインターネット入門、といった副題がついていた。最近しばらくお休みなので、気になっているが、糸井重里氏のお母様らしいこのミーちゃんが、やはり品の良いニュウトラルな視線なのだ。

きっとミーちゃんにとって、コラムを続けるという状況が、息子さんからの素晴らしい贈り物なのだろうなと思う。

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2008年2月27日 (水)

メリル・ストリープ

学校が春休みに入ったので、ここのところ映画やお芝居に明け暮れている。

先日見た映画が「いつか眠りにつく前に」。”あなたが最期に呼ぶのは、誰の名前ですか”という、コピーがついている映画だ。

癌の末期で意識の混濁する中、娘達の知らない名前を何度も口にする、年老いた母親。彼女の中で、若かった日々の遠い過去が、美しいロードアイランドの海辺を舞台に、蘇ってくる。

彼女がブライドメイドをつとめた、親友の結婚式を巡る数日が、現実と交錯しながら描かれていく、そのちょっと時代がかった様子が、何とも素晴らしい。

そして、死期のせまった彼女のところに突然やってくる、かつての親友が、メリル・ストリープ。

今まで、何人のメリル・ストリープに出会った事だろう。

最初は、多分「クレイマー・クレイマー」だ。アメリカへ引っ越した時の、飛行機の中で見た映画だった。

この時は、父親役ったダスティン・ホフマンの印象の方が強くて、特に台所の調理台の上に坊やを座らせてフレンチトーストを作る場面が印象に残り、当時よちよち歩きだった娘を、よく調理台に抱き上げては、フレンチトーストを作ったものだ。

記憶の順序は、定かではないが「マディソン郡の橋」では、イタリアから移住した中年の主婦といった容姿が忘れられないし、「マイ・ルーム」での、エゴイスティックな美容師の彼女と、、白血病に冒された姉のダイアン・キートンとのやりとりも素晴らしかった。

「ミュージック・オブ・ハート」のエネルギッシュな音楽の先生。「恋におちて」の相手役は、今思えばロバート・デ・ニーロだったのか・・。

そして勿論「プラダを着た悪魔」の彫刻の様に冷たい美しさ。

岩下志麻が若かった頃、インタビューで答えていた「女優としての理想は、可能性」といった内容の言葉が、未だに記憶に残っている。

表現することは、何でも共通しているのだなと、とても印象深かったのだ。

そして、メリル・ストリープの出演する新しい映画は、私にとって、いつも限り無い可能性へと向かっていく、わくわくする贈り物の様な気がするのだ。

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舞台

昨日「恋はコメディー」という芝居を見た。浅丘ルリ子、渡辺えりが出演する翻訳コメディ。

二人の掛け合いも絶妙だったし、台本が最高に面白くて、散々笑って帰って来た。

渡辺えりは今まで見る機会がなかったのだけれど、物事の捉え方が大きいのだろうな、という印象を受けた。歌舞伎の脚本を書いたりする位だし・・。

そして、浅丘ルリ子。

あの美しさは文句なく素晴らしい。階段を高いハイヒールをはいて降りてくる仕草など、全く年齢を感じさせないのにはびっくりした。

浅丘ルリ子は昔から好きな女優さんだったけれど、寅さんシリーズのマドンナがきっかけだったのか、いつの頃からか凄い俳優さんに変わったと思う。美しい女形の枠からはみ出した、最近の福助と共通なものを感じる。

前日電話予約したときに、残席は二枚しかなかったらしく、当日の入り口には「本日の公演は完売いたしました」と札が出ていた。

集客に苦労している身としては、それだけでもひたすら感心してしまったのだが・・。

後ろの座席から、「やっぱりねえ・・。実際の年齢と、かけ離れすぎてるし・・・。水谷八重子なんかは、70歳すぎても吉右衛門相手に、19才の娘役をやって、せりふは完璧だったけどね。」と、しゃっべているのが、聞こえてきた。

その人は、単に自分の観劇経験を披露したかっただけなのかもしれない。が、客席総批評家という矢が、第一線のプロに対して放たれている怖さを、ひしひしと感じてしまった。

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